昨日図書館に返したので手元に本がないのだが、ジュリエット・B. ショア*1の『浪費するアメリカ人――なぜ要らないものまで欲しがるか』(森岡孝二訳*2)という本の中に、「隣のダウンシフター」という章があり、そこで「浪費」と「働きすぎ」の悪循環を断ち切り、多少収入が減っても自分でコントロールできるゆとりのある生活を試みている「減速生活者」(ダウンシフター)の実例がいくつか取り上げられていた。「減速生活」とはいわゆる「スローライフ」志向、あるいは少なくとも「ファストフード化」した生活・労働サイクルから部分的に「プラグを抜く」試みだと言ってよいと思うが、興味深く思ったのは、著者が減速生活が成功するか否かは、一つには、同様の試みをしていたり、そういう問題に理解や関心のある「準拠集団」を持つことができるかどうかにかかっていると指摘していたこと。 先日、熊沢誠氏の『若者が働くとき』(2006年)を読んで