私はFacebookで劣等感を覚えた経験がない。 私自身は大した人間ではない。人間性に欠点は多々あると自覚しているし、人に自慢できるような実績があるわけでもない。それでもFacebookに居心地の悪さを感じたりはしない。 「いい人」を明らかに演じている他人を見ると、「あたたかく見守ってあげたい」という気分になる。なぜなら、どこか「無理している」雰囲気が伝わってくるからだ。そんなに幸福を叫ばなくても、「いい人」は「いい人」だ。まだ自分を創作している途中で、うまくいかずに試行錯誤しているのだとはっきり判る。 ニーチェは言った。 「美的現象としてなら、われはれは生を依然として耐えることができる」 と。 少し感傷的すぎるかもしれない。ならば、ポール・ヴァレリーの言葉はどうだろう。 「生はいかなる深さも要求しない。その逆である」 本当の自分がどこかにいる……という幻想に悩むのは、学生までで充分だと思