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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (2)

  • インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳

    身体性という言葉を見かけたので、それに言及したについて2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこのでの一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が

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  • 〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい - 雑記帳

    『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))』は目を引くタイトルだけど、これは近頃話題の「バカ」の類ではない。著者もまえがきの1ページ目で早速そのことについて説明している。 はじめに誤解を解いておきたい。僕がこので主張しているのは「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」ということではないのだ。個人の運命は名前で決まるわけではない。名前をみただけでその人の運命など予測できるはずもない。 目的を明確に述べておこう。書において、著者はマスメディアの副作用について解明している。テレビや新聞が完全に普及し、雑誌やインターネットがあらゆる言語空間を覆いつくすなかで、人々の行動はどのような影響を受けているのか、それを解きあかそうというわけだ。著者の判断ではそれに成功している。 (p5) このは、恐らく日国内の社会学の学会などでは受け入れられないのだろう。何しろ著者

    ch1248
    ch1248 2006/07/10
    なかなか興味深い
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