最近、少し「身体論」について興味を持ち始めてぼちぼち読んでいる。なぜ興味を持ち始めたといえば、《身体》を否定する身体というのに興味を持ち始めたからだ。ただ、これだと具体的にどういうことか解らないと思うので、簡単に説明するとするならば、「ひとはどうしてカラオケで自分の知っている音楽だと盛り上がるのだろうか」という話なのだ。問題は果たして私たちは《音》を純粋に楽しむことができるのだろうか、という問題でもある。どういうことか。私たちは《音》を《身体》で聞くことができる。身体で聞く、というのは、《音》の秩序を《身体的に》構築するということである。たとえば、私たちの日常経験で、何かしらの音がテクノっぽく聞こえたり、あるいは踊りだしたくなったりすることがある。確かにこのとき、《音》は《脳》を通じて構築されている。しかし、私たちの《身体》は《音の秩序》以前に《社会的秩序》として体系付けられているのではな