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ブックマーク / indai.blog.ocn.ne.jp (2)

  • 恐山あれこれ日記: ちょっとした感想

    ちょっとした感想 以下は、ある寺が主宰する坐禅会の記念誌に寄稿したものです。こういう話は珍しいでしょうから、転載してみます。 坐禅という道しるべ 〇〇寺様の参禅会が三十周年を迎えるのだそうで、まことにおめでたい、また一曹洞宗僧侶として、ありがたいことだと思う。 副住職さんとは永平寺の入門が一緒で、その縁もあってか、会員の皆さんの前で話をさせていただいたり、ご一同がはるばる恐山まで参拝に来て下さったりと、今では何だか他人という気がしない。 そこで、方々で行われている坐禅会の様子を時々見聞して、私が個人的に感じていることを、この機会に聞いていただきたいと思う。 ◆   ◆   ◆ 以前、あちこちのお寺で参禅経験があるという初老の人と話をしていたら、彼がこんなことを言った。 「南さん、坐禅というのは人を傲慢にしますな」 これはおかしいだろう。普通は、坐禅を続けていれば、「我がとれて傲慢でなくなっ

    ch1248
    ch1248 2012/09/02
    武道武術界隈でも同じような話をよく聞く。
  • 恐山あれこれ日記: 「老人」の垂訓

    「老人」の垂訓 医師・男性 「安らかな死、なんてのはないでしょうな。安らかそうに見える死はあるけど」 無職・女性 「死ぬ覚悟ができれば、欲は減るか無くなるかと思いましたが、違いました。欲の姿が変わるだけでした」 僧侶・男性 「90過ぎても、いつ死ぬのか見当がつかん。人を生かしておくには必要な無知だな」 無職・女性 「どれだけ長く生きたかより、どう生きたかが大切だと、よく言いますでしょ。でもね、そう言っても、誰だって大した生き方はしていませんでしょ」 無職・男性 「人はなぜ平気で眠れるのかね。平気で眠れるんだから、平気で死ねばいいのに」

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