今日は、合氣道における〈氣〉ということばが暗黙のうちに前提とする、ある2つの考え方についての小論を書いてみました。*1 私たちは、〈気〉ないし〈氣〉と呼ばれるものを、うまく定義することができない。社交術として“読む”ものだったり、上司に対して“使う”ものだったり、真空波動拳の“素材・エネルギーになる(かもしれない)”ものとして考えたりするといったことはあるが、では全体としてどうなのか、と考えると、統一した見解は特にない、といえる。 だから、〈氣〉という言葉を見聞きする時、それは必ず、特定の文脈、特定の専門用語としてどう使われているのかを念頭に置きながら、理解しなければならないだろう。分厚い辞典を引いたり、百科事典を引いても、〈氣〉という言葉が使われる時の正確なコンテクストを理解することは困難なのだ。 今回私が取り上げるのは、「合氣道」という武道において使われる〈氣〉についてである。 合氣道