私は昭和32年3月に県立大聖寺高校定時制片山津分校を卒業した。今もいろいろな事情で定時制で学ぶ人がいるのでしょうが、当時の生徒はみんな素晴らしい人が多かったように思う。人一倍向学心をもちながら何らかの事情で行けなかったという人たちだ。 私は小松製作所粟津工場の技能者養成所(工科学校と言った。)にはいり、夜間に定時制へ通った。動橋、山代、山中からも少しずつ同じような人がいた。 そこで表題のことに入る。そのころ、まだ若くて非常に理想に燃えている、石川啄木を思わせるような先生が居た。情熱がありそうで又醒めている様な、すこしニヒルな感じが私には好感がもてた。 その先生をここではY先生とします。もう卒業も迫った事務室で私にボソボソといってくれた言葉を思い出す・ 「ノブ、どこへ就職するにしても、何か書類を読む事があるだろ、そのときはじっくり読みなさいよ。」と言う注意だった。私の性格を見通した助言だった