同時に、twitterの話。 そのidによって連想されるイメージ(固定観念とも呼べるかもしれないもの)は、もともとはそのidを管理する個人の発言によって形成されたものだけれど、そのイメージはいつの間にやらその個人の管理するところではなく、もっと広い、コモンスペースで管理されることとなる。そして、自らもそのイメージに引っ張られる、あるいは極端に反発する。特にtwitter中毒みたいなユーザに、そういう感覚を持った人は少なくないんじゃないかと思う。 というのも、自分自身がそうじゃないかなと思ったわけで。アイコンをアニメキャラにしていたり、気軽に奇声(……)なんかをpostしていたりする内に、"私自身"ではなく"sillat"という作り上げられた人格が周りの中に出来上がっていってるんじゃないか、と感じました。自意識過剰と言われたらそれまでだけど。かなり気にしていた時期は、自分でもこんなpostを