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ブックマーク / thinkeroid.hateblo.jp (4)

  • 冒険物語としての「細胞の分子生物学」 - 殺シ屋鬼司令II

    超人気ブログ「アレ待チろまん」に魅力的なエントリが公開されました。 http://fm7.hatenablog.com/entry/2014/06/08/214652 現代の大学課程において当然ながら全員が勉強すべきこととして、英語や統計学・プログラミングの初歩の他に、分子生物学が挙げられるでしょう。 大学で読まれる分子生物学の教科書のスタンダードとして「細胞の分子生物学」Molecular Biology of the Cell、通称the Cellという教科書が存在することは、向学心が人並みにある大学生であれば知っているだろうと思われます。 このthe Cellに対して、紋切型の批判が長年あります。 理論がない=事実の羅列にすぎない 電話帳 実際重い ただ、私は学部時代、大学院入試対策の一環として、この第四版を通読したとき、人類二百万年の生老病死への真っ向からの取り組みを描き出す、「指

    冒険物語としての「細胞の分子生物学」 - 殺シ屋鬼司令II
    ch1248
    ch1248 2014/10/30
    とても共感する。
  • まず反発がうまれてから感謝の念が湧くから脊髄反射は損 - 殺シ屋鬼司令II

    こういう曲線を、最近よく考える。 ひとから何か、例えばアドバイスのようなことを言われたとする。 そうすると、最初は反発するんだが、そのうちに感謝の念が湧いてくる。反発のサージ(急峻な上昇)が収まると、ああ、ありがたいな、こういうことだったんだな、というのをあとで悟る、という感情のサイクルがある。しかもその感謝があとになればなるほど高まっていくことさえある。 だから、脊髄反射は損である。 というか、脊髄反射の応答を提示できるようになってしまっているアーキテクチャが不幸なのだと思う。 ネットはそういう仕組みである。即座に反応することができる。反応しなければならないという強迫観念を持っているひとさえいる。 むかし、総合誌というのが論壇をもっていたときは、論争のクロックパルスは、刊行頻度だった。しかも、各人の発言はその都度、個別の論説記事とならざるをえないから、論者の能力にもよるであろうが全体性を

    まず反発がうまれてから感謝の念が湧くから脊髄反射は損 - 殺シ屋鬼司令II
  • 『人生がときめく片づけの魔法』のほんとうにスゴい内容について

    2012/11/19追記:記事は、2010年刊行の『人生がときめく片づけの魔法』(1)に関するもので、続編で2012年刊行の『人生がときめく片づけの魔法2』は扱っておりません。 長年の友人が「成功者というのはこの人の事をいう」と評していた、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』をiOSアプリ版で読みました。このは面白い。ひとことで言うと ガチ 2ch風にいうと、2レス目に思わず「マジキチ」って書かれるレベル(もちろん、いい意味で)。 読んでいるさなかから、記述が詰まっていることにおどろきました。膨大な片づけ指南経験の具体例にリアリティがある。ありきたりな叙述で流していく凡百の指南書ではない。たいていのハウツウにかぎらず、世に流通しているノンフィクションは一般に、通説を紹介しているうちにいつのまにか、びちゃびちゃの薄い記述になってしまうのに辟易していました(それでページ数は稼ぐので分

    『人生がときめく片づけの魔法』のほんとうにスゴい内容について
  • Ririkaの思い出:「はてなアイドル」の系譜 - 殺シ屋鬼司令II

    私がはてなを使い始めたのは2003年7月、はてなアンテナを作成してからだ。 (※ 以下の記述では多くのIDを列挙するものの、いま既に世に見えぬはてなダイアリーも少なくない。それ故、敢えてここにはIDリンクを張ることに消極的になっていることをご理解いただきたい) ちょうどウェブログというものが、広い意味でのギークのみならず一般にも認知され始めた頃である。「ウェブログ入門?BloggerとMovable Typeではじめる【CD-ROM付】」という書籍が出版されたのが転機だったように思う。その後わらわらとブログは登場し、去年あたりでひと段落ついたようだ。コモディティ化というかインフラ化というか、つまり一般に受け入れられたと思ってよいだろう。 はてなダイアリーを使い始めたのは2004年の初めだっただろう。当時は「殺し屋鬼司令・絶滅学覚書並抜書」というタイトルだった。「絶滅学」というのは私の妄想

    Ririkaの思い出:「はてなアイドル」の系譜 - 殺シ屋鬼司令II
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