追手門学院大学(大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子学生(当時20歳)が3年前、大学でいじめを受けたとする遺書を残して自殺したのに大学が調査を怠ったなどとして、学生の母親(52)が大学を運営する学校法人・追手門学院を相手取り、大阪弁護士会に人権救済を申し立てていたことが31日、わかった。 母親の代理人弁護士によると、学生は3年生だった07年6月、「学校で受け続けたイジメ。もう限界です」などとする遺書を残し、神戸市内の自宅マンションから飛び降り自殺した。 母親は原因調査を求めたが、大学側は調査をせず、今年2月には30万円を母親に渡し、「債権債務がないことを確認した」との合意書への署名を求めた。母親は〈1〉いじめと自殺を防がず、学生の人権を侵害〈2〉調査を求める母親の権利を侵害した――と主張している。 追手門学院大の松本直樹副学長は「(いじめの有無は)今のところ確認していない。調査依頼
古代インドから中国へ、遥(はる)かな旅をして、たどり着いたのか。舎利が眠っている。 黄金の箱に入れて柱に埋め込まれ、安置されている指先ほどの骨片。入滅後、2500年の時空を超えて伝わる釈迦の遺骨なのだという。 かつての長安、陝西省・西安から西へ120キロ、そこは法門寺という古刹(こさつ)だ。 後漢後期の2世紀か、西魏の6世紀か。伝来の経緯は不確かだが、舎利は唐代の631年、境内で掘り出されたという。以降、3代高宗、7代粛宗、9代徳宗ら、皇帝が長安の都に運んでは供養の儀式を営んだ。多くは30年周期だったと史料は告げる。 13王朝の都にしてシルクロードの東の発着地。日本からも遣唐使や僧らが渡った長安は、各国民族が多く住んだ国際都市だ。唐も中央アジアにまで及ぶ大帝国だった。舎利供養は、国家統合の装置としても利用されたのだろう。 だからこそ、王朝とともに消えた。法門寺博物館の任新來副館長(42)が
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