タグ

2013年2月14日のブックマーク (5件)

  • 吉田寮畜産業協同組合

    お母さんヤギ(5号とは)今生の別れ。 山羊はすぐに近親相姦してしまうのが困ります。 別れの朝もこんなことに…(5号は妊娠中なので種は付かないので安心)。

    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    昔のNFで、寮生の店で前日にかわいがられていた猫が翌日鍋になっていたぞ。
  • 医師が使う日本語はおかしい? | 呼吸器内科医

    コラムを書くのは当ブログの趣旨とは異なるのですが、別職種の友人から”医師が使う日語がおかしい”と指摘されたので、個人的に感じるところを書いてみたいと思います。これから述べる日語についての意見は、私自身も頻繁に使用することがある言い回しなので、決して否定的な意見を持っているわけではないことを先に述べておきます。 私は4年以上にわたってブログという媒体で文章を書き続けていますが、それでも「医師独特の言い回しをしてしまった」と後から反省することがあります。雑誌の執筆でも、配慮しているのにもかかわらず編集社からしばしば訂正され、そのたびに自分の日語能力の低さに辟易とします。これはおそらく医師の初期に受けた”医師文体”の教育のせいではないかと考えています。紹介状や学会発表、場合によってはpeer reviewがある日語論文であっても医師は非常に独特な言い回しをすることがあります。それは医療に

    医師が使う日本語はおかしい? | 呼吸器内科医
    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    あの先生地獄は何とかしたほうがいいんだが、なくならないだろうな。
  • 有名人が書いたつまらない記事

    ネットが進歩拡大して、様々な人々の様々な体験が語られるようになった。専門家や創作者がどんどん増え、関連のコンテンツもどんどん充実している。おかげで、かつてのテキストサイト界隈やkanoseのような、「何のとりえも無い人が上手いことを言おうとする」系の人達は、今ではすっかり存在感を失っている。何のとりえも無い人が注目を集めるには、ニコ生等で体を張って事件を起こさないといけなくなった。 評価されるべきものが評価されるよう、ネットは日々向上しているが、それでもなお残る問題がある。それは、有名人が書いたつまらない記事だ。 とあるコンビニ店長が語るコンビニ経営の裏話はとても面白く、読む価値がある。でも、その人のコンビニ以外の記事は、どれも浅はかでつまらない。それなのに、そのつまらない記事が度々はてブ入りして、私の視界に入ってきてしまう。つまらない記事なのに、有名人が書いたというだけで注目され、広く紹

    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    プロレス説に一票。
  • たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、 はっきり言って、あなた、それ、何も心配しなくていいよ。超大丈夫。 一応、いろんな、修士の学生さんみてきたけれども、 特に文系は大概の人が、6月ごろにプチになるから。 だって、学部の頃とぜんぜん違う能力が求められるってことに気づくのが、 だいたいみんなそのぐらいのタイミングなんだよね。 学部の時はすごく優秀だったけれど、修士に行って憂になって、 でやめてしまう人、たくさんいます。 大学院の制度にも、あなたにも問題がないわけじゃないだろうけど それは、無能だった訳じゃなくて「相性が悪かった」んです。 学究の道、そのものと相性が悪かった可能性もあるけど、 単に、設定したテーマや、環境の掛け違いだった可能性も大きい。 大学院って、そういう場所なんです。 そうならない人のほうが珍しい。そう思って下さい。 そういう人、たくさん見てき

    たぶん、あなたの8年ぐらい前に修士にいた人間からの助言ですが、
    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    完全に同意。私も修士課程でドロップアウトしかけたし、周りでも数名ドロップアウトしてた。
  • 議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂

    ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ最後の共著であり、その思想の総決算とも呼ぶべき『哲学とは何か』(1991)は、タイトルが示すとおり、「そもそも、ドゥルーズとガタリは哲学をどのように捉えていたのか」について教えてくれる。一言で言うとすれば、彼らにとって哲学とは「概念(コンセプト)を創造すること」らしい。《こうして結局、かの問は、すなわち哲学についての問は、そこで概念と創造が互いに関係しあう特異点なのである》(23p)。ここで当然疑問に思うのは、ではその概念とはどのようなものか、ということだ。彼らの説明を順に追っていこう。 ひとつの概念とは、それ自体が概念となりうるような不可分の合成要素群から構成された「集積点」のようなものである。それは物体や身体ではないし、論理学的な命題でもないとドゥルーズ+ガタリは言う。彼らが挙げているデカルトのコギト、すなわち「我思う、ゆえに我あり」の例を見てみよ

    議論しない哲学者 ――ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』感想 - 鳥籠ノ砂
    charliecgo
    charliecgo 2013/02/14
    それは別に構わんのだが、そういう人が科学に越境してくるとファッショナブルなものになってしまうことがわかっている。