もうひと月も前になる年末の大掃除。 今回は押入れの断捨離敢行。 そしたら、畜光テープなるものが出てきた。 昼の明るさや照明から光を貯めて、暗くなるとぼわっと光る。 大掃除の息抜きに細かく切って、寝室の枕位置の天井部分に貼てみた。 星座のカシオペアの形になるように。 夜になって消灯するとほのかに光り出した。 でも、星と星の間隔が狭くてカシオペアというより何かの塊が光っているだけ。 翌日、星と星の間隔を広げて貼り直した。 大掃除そっちのけ 夜。 仰向けに寝た視線の先にカシオペア。 ちょっと感動。 我だけのカシオペア。 それを見ながら、小学校か中学校の理科でカシオペアから北極星を見つけ出す方法を習ったことを思い出した。 翌日、ネットでカシオペアと北極星の位置関係を調べた。 天井の我がカシオペアの位置を基準に北極星を貼り付けた。 ネットには北斗七星もセットで記載されていた。 だから、該当する位置に
コンタクトレンズをしている。 近視の目には便利である。 でも、コンタクトをしていると、 痛くなるときもある。 目が乾いて辛いときもある。 視界全体が曇るときもある。 本当は目のためには メガネのほうが良いのかもしれない。 でもメガネにはメガネの煩わしがある。 もっと言えば 矯正視力なしの裸眼のままでいると、 見なくて良いものは気に留めないので、 無視できで良いかもしれない。 心にも無意識のうちに コンタクトレンズやメガネをしているのかも。 だから、人付き合いがうまくできたり、 逆に人付き合いに疲れたりするのだろう。 人付き合いで、 見なくて良いものを見てしまうと、 本当に心が滅入る。 自然体の心のままで 人と接することが出来れば楽だろうが、 矯正が必要な心は疲れる。 でも、ひとりで生きているわけではない。 このまま、心にコンタクトをつけて、 生きていくしかないか。 ハロウィン 飾り 帽子
何かで読んで気に留まった。 人を責める言葉には「ナイフの言葉」と「十字架の言葉」があると。 「ナイフの言葉」は言われたときに胸に突き刺さる痛い言葉だが、痛いのは刺された時だけで、傷はじきに癒える。 「十字架の言葉」は痛くはないが、背負ったまま歩き続けなければいけない。生きている限りその言葉を背負い続けなければいけない。 人生を振り返ってみる。 ナイフに刺されたか・・・・・ ちっぽけなの傷跡は複数ある。 だが大きな負傷は思い当らない。 十字架を背負っているか・・・・・ 思い当らない。 これまでは穏やかな人生だったいうことか、 それとも能天気なでだけなのか。 逆に自分が他人をナイフで傷つけていないか、 十字架を背負わせていないか振り返る。 小さな傷を色々な人につけてきたと思う。 さらに、気付かぬうちに、 もっと大きく傷つけたり、 十字架を背負わせたりしてないかと不安になる。 もし、私のせいで、
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