死については、専用の図書館が出来るほどすでに多くのことが語られているが、結局のところ、わたしたちは死について、とりわけ自らの死についてすっきり腑に落ちることはないであろう。むしろどれだけ思索し、研究し、あるいは表現しても依然として死は不可解なものであり続けるからこそ、これまでもこれからも、千言万語が費やされてゆくのだと云うべきか。 そんなわけで、この一文の目的もささやかなものである。とても死についての言説史に小石の一つでも積み上げよう、などという大それたものではない。ただ、死の「わけのわからなさ」について――それは昔の人にとってもやはり「わけのわからない」ものであったから――彼らの戸惑い、混乱、不条理にたいする諦念、そうした態度の痕跡を共感をもって眺めてみたい。それが今回のテーマである。 勇気凛々アーノルド・ベックリーン * さてこのようなことを考えるきっかけとなったのは、エリアーデの「死
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