プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ(ラテン語: Publius Valerius Publicola ポプリコラ(Poplicola)とも、? - 紀元前503年)は、共和政ローマ初期の半伝説的な政治家である。ルキウス・ユニウス・ブルトゥスらと共に王を追放し、史上初の補充執政官に就任した後も更に3度執政官を務めた。「プブリコラ」とは「民衆の友」を意味する。 ボッティチェッリによる『ルクレツィアの物語』 ウァレリウス氏族の出自はサビニ人で、祖先はティトゥス・タティウスの在位の際にローマに移り住んだと言う。若い頃から弁舌が立ち、正義と温情の人と評判であった[1]。 ブルトゥスとは同輩ではなかったが、共に王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスの息子セクストゥスに強姦された、ルクレティアが自殺した際の立会人の一人であり[2]、紀元前509年にはブルトゥスと共に王族を追放して王政を終了させ、