2009年9月28日のブックマーク (2件)

  • Webで饒舌な人ほど現実で満たされていないんじゃない? - ブログというか倉庫

    不思議なもんで 日々に満ち足りているとブログを更新する気がなくなるんですよね。 いや、ここのところスッキリとした毎日を送っているんですが、日常の充実と反比例するように何かをブログに書く必要性を感じなくなってきました。えーなんといいますか、わざわざWeb上に自分の考えをアウトプットする労力を払う意味が見いだせないというかなんというか。 何かの現状に対するなんらかの不平や不満や怒りなどのマイナスのエネルギーが無いと、ブログって更新しにくくなるのかも知れませんね。いやもうどっかで誰かが言っているような気がしますが。 もちろん 喜びや幸せなどのプラスのエネルギーもブログの更新に使えるとは思えますが、Webを見渡しているとどうもそういう感じがあまりしません。はてな界隈とか見てると余計にそんな気がしますね。 確か日は世界でもトップクラスのブログ大国だったと記憶していますが、それはひょっとしたら日

    Webで饒舌な人ほど現実で満たされていないんじゃない? - ブログというか倉庫
    chazuke
    chazuke 2009/09/28
    私は「自分の時間」確保のために書くなあ。日常生活で悩みをもっているときほど、楽しく書ける気はする。今は悩みがないので、書きにくい。とほほ。
  • 西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26

    アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を

    西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26
    chazuke
    chazuke 2009/09/28
    なるほど。納得できた。