10月10日の試合後、「山崎コール」が響き渡るなか、集まった大勢のファンを前に、山崎武司は涙ながらに別れの挨拶を行なった 涙の退団試合から数日後、山崎武司は噛みしめるように今の心境を話してくれた。 「今後の不安はね、全くないんだよ。でもやっぱり、楽天を、仙台を離れることに関しては未練たらたら、あははは!」 あの時は、仙台市民のみならず、プロ野球ファンの誰もが自分の目を、耳を疑った。 10月9日。楽天・山崎が退団を発表――。 突然の自由契約だった。 開幕当初は好調だったが、6月の試合で右手薬指を剥離骨折し戦線を離脱。約1カ月半で現場に復帰したものの、以前から不安を抱えていた下半身の不調もあり成績は下降していく。東日本大震災からちょうど半年となる9月11日のゲームで逆転アーチを描いたが、次戦以降は39打数1安打と低迷。そして30日、山崎の名はスタメンから消えた。 自由契約の理由は「チームの若返
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