河原町通、万寿寺通の交差点 承久の変=鎌倉3代将軍、源実朝が暗殺され、後継者もなかった事から、 後鳥羽上皇は政権奪取を謀り、鎌倉幕府と一戦を交えますが惨敗致します。 承久3年(1221)6月15日、鎌倉方の北条泰時(のち執権となり 御成敗式目=法律 で有名)北条時房(のち六波羅探題)は瀬田、宇治で 朝廷方を破り入京。そして終戦協定を「樋口河原」(今日の河原町万寿寺の 交差点付近=この時代は鴨川の河川敷)で行う、朝廷側は大夫史 国宗を使 者として、後鳥羽上皇に形式上罪はかぶせず終結させます。のち後鳥羽上皇 は隠岐の島(島根県)に流刑となり生涯を終われます。 上皇の和歌に「われこそは新島守よ隠岐の海 荒き波風こころして吹け」 と云うのがありますが、上皇の気位の高さと流刑の寂しさが込められた秀作 と思っております。白河上皇から始まった「院政」もここに終焉致します。 私事で