大分は当時、地元資本の百貨店「トキハ」の天下で有名百貨店が進出することがありませんでしたが、その代わりにダイエーやサンバード長崎屋、西友といったスーパーマーケットが百貨店のように大分駅前の商業地へ軒を並べていました。ところが最後発の西友はまったく集客できず、いつ行ってもガラガラの状態。そこで、西友と同じセゾングループだったパルコが出店したのです。 パルコは当時、渋谷と池袋以外は札幌のみの出店でした。大分よりよっぽど大きい福岡や熊本に先駆けて「東京」を感じさせるお洒落ビルが登場したのですから、都会に憧れる田舎者の中学男子には大事件だったのです。 ファッション感度が鈍い田舎の中学生にとって、パルコに並ぶファッションは縁遠い存在でしたが、毎週日曜日には大分の映画館に行き、その帰りにパルコに寄るのが定番コースに。流れるBGMや貼り出された「グランバザール」などのポスターなど、店内に満ちる空気感に憧