マサチューセッツ州コンコード市出身。ハーバード大学卒業[1] 後、家業の鉛筆製造業、教師、測量の仕事などにも従事したが、生涯を通じて定職につかず、やがて学生時代に熟読した『自然』の著者で超絶主義者のラルフ・エマソン[2]らと親交を結んだ。 自費出版した処女作『コンコード川とメリマック川の一週間』(1849年)は、若くしてこの世を去った兄とのボート旅行をまとめた随想で、当時の社会には全く受け入れられなかった。 ウォールデン池畔の森の中に丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2か月間送る。代表作『ウォールデン 森の生活』(1854年)は、その記録をまとめたものであり、その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えた。 コンコード市のソロー一家の墓 1855年頃から体調を崩し、その後も野外での活動を継続したが、1861年12月頃から体調が悪化し、1862年5月6日、結核の為コンコードで44歳で死