最初の正室は、今川氏の一族の娘だった築山殿(つきやまどの)です。 築山殿の死後に嫁いだ2人目の正妻(継室)は、豊臣秀吉の異父妹の朝日姫(あさひひめ)です。 側室については人数が定かではありませんが、10数人と考えられています。子どもは全部で16人。男の子が11人、女の子が5人でした。 ▶関連リンク Q&A 徳川四天王/徳川三傑ってどんな人? 正室と子どもたち 築山殿(つきやまどの)(?~1579年) 駿府(現・静岡市)生まれとされる。父は今川家重臣・関口氏純、母は今川義元の妹という説がある。織田信長に当時敵対していた武田方との内通を疑われ、家康の命を受けた家臣により1579年に佐鳴湖畔(現・浜松市)で暗殺された。 ◆長男・信康(のぶやす)は永禄2年(1559年)、駿府(現・静岡市)生まれ。幼名は父と同じく竹千代で、後に織田信長から「信」の字を与えられて信康と名乗った。家康が浜松城へ移った後
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