福祉番組の「感動ポルノ」的な作りを脱出したかった 日比野は最初、耳を疑ったという。大阪放送局の制作部長(当時)の泉谷八千代にこう言われたのだ。 「『きらっといきる』をどうやって終わらせるか考えときや」 泉谷は『バリバラ』の前身の福祉番組『きらっといきる』を立ち上げた張本人だった。日比野はもともとNHKに入局して5年ほどは『あすの福祉』などの福祉番組を制作していたが、その後「美術系の番組をやりたい」と希望し、東京で約10年、美術番組を手がけ「幸せな」日々を送っていた。 だが、2009年、突然日比野は大阪に呼び戻され『きらっといきる』のプロデューサーに就任したのだ。 『きらっといきる』 ©NHK 番組は改革しようともがいていた。 MCに若者向けラジオDJの山本シュウと、自立生活センター職員で自身も脳性麻痺の障害のある玉木幸則を迎え、より障害者の現実に即したリアリティのあるものに変えようと意気込
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