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ブックマーク / flat.kahoku.co.jp (1)

  • 余震の中で新聞を作る15〜相馬・南相馬へ/津波からの生還

    3月25日に訪ねた相馬市柚木の老人保健施設「森の都」には、同11日の地震と津波の後、13人もの避難者が助けを求めて駆け込んだ、と聞きました。浜から逃れてきた1人の母親は、「黒い鉄の壁だった」と語り、「がたがたと恐ろしげに震えていた」と。「黒い壁」「鉄の壁」という言葉は、それから郷里で会った何人もの口から聞くことになりました。 相馬の街は、相馬氏の根城「馬陵城」を囲む旧城下の中村地区と、いずれも漁港がある原釜・尾浜(相馬港と海水浴場も)、松川浦、磯部という「浜」の地域に大きく分かれます。その間は距離にして4キロほど。ですから、中心市街はもちろん津波を免れました。 私の実家は中村のはずれにあり、周囲の被害はもっぱら屋根瓦が落ちたり、古い蔵の壁やブロック塀が崩れたり、というところでした。 実家も屋根瓦が落ちたのですが、修理されたのは2週間後。ようやく来てくれた瓦屋さんは、「なにせ700軒分

    chintaro3
    chintaro3 2011/04/17
    「「大津波警報が出ると、漁港につないだ船にすぐ飛び乗って、沖に出したんだ。約100そうが、沖に逃げた」。係留したままでは、津波に巻き込まれてしまうからです。 」
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