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2008年2月22日のブックマーク (6件)

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    cho45
    cho45 2008/02/22
  • Dec 14 2006 :: モチベーション / nulog, NULL::something : out of the washer

    モチベーションって何かなぁ。モチベーションのスイッチが入っているときは、いつスイッチが切れてしまうんだろうって不安だし、切れているときはもう二度と入らないんじゃないかと不安だ。なんか不健康なもののようだ。いやでもスイッチが完全に入っていれば集中してるからいいのか。でも集中ってずっと続かないのが明らかというかご飯べないと死ぬよね、みたいな。 ご飯べたり、トイレいったりする時に、悪い方向にピンとくるとスイッチが切れてしまう。良い方向にピンとくるともっとスマートな実装を思いついたりする。プラスマイナスゼロ 追いつめられないとあらゆることにモチベーションが沸いてこない。ぎりぎりまで何もしない。正確には、スイッチがどうすれば入るのかを考えている。けど手を動かしていないので何もしていないのとおなじ。 モチベーションから行動。 自分が「とりあえずやってみるか」と思えるのはアンドゥが効くときだけみたい

  • 自分自身をバージョン管理 - 氾濫原

    少し前にちょっと書いた話の続き? 頭で考えている自分の意見とかって、少しずつ変わっていくものだから、バージョン管理したいなぁと思う。日記みたいに一次元でずっと書いていく形だと、意見が変わっときは「意見がここで変わりました」という日記を書かないといけない。いつ自分がそれについて言及したかを覚えていないと、だんだん日記全体の統一性が失われてしまう。「あれ? ちょっと前のこの話と矛盾してね?」みたいなのがでてきてしまう。 そんで今度は「前こういったから、今こう言うのはいけない気がする」とかなって考えが固着していく。よくない。 バージョン管理システムで自分の意見にバージョンをつけながら、更新していったら、そういうのが解決するかもしれない。「この時点の自分は確かにそう考えていたけど、今の自分とは違う」というのが明確になる気がする。バージョンごとに自分が輪切りになっていくイメージ。 でも実際やろうと思

  • 自己ルール - 氾濫原

    ちょっと前にりなざうで思いついたときに書き出したもの。今考えているのとは違う部分もある感じ。ちゃんと実践できないことがいっぱいあるなぁ……と思ったのでいつでも見れるように。 訊かれるまで答えない しゃべりすぎる傾向を抑える 可能ならできるだけしゃべらない 余計なこと言わないのが最優先 自信過剰にならない 特に無意識にでる表現 「さすがに〜はできない」 「ぶっちゃけそんな頭よくない」の類 愛のない批判をしない 批判するときは相手と自分に逃げ道を残す 伝えたいことを全て書かない 論理より感覚 ロジック中毒者にならない 論理は感覚的に理解するための手段 どんな人間を相手にしても、根的原因/背景/事情を考える 感じる行為をおろそかにしない タバコを吸わない 眼を閉じない 悪い開き直りかたをしない 寛容であろうとする 出来る限り質問をしない 他人の時間には対価を支払わないといけない 出来る限りメー

  • 思考の継続 - 氾濫原

    思考の Continuation が欲しい。何か用事があったりしたときに、オブジェクト化して保存しておいて、終わったらそれを呼びなおす。 アクリルの立方体みたいなのにぐにゅぐにゅとした継続が入ってる。今の気持ちとか、考えてることがそのままその立方体に入ってて、あとで取り出せる。 なんかせっぱ詰まってると「あああれがやりたい」って思うけど、終わってからだと気が抜けて完璧にやる気がなくなってる。継続保存ができるなら、それをとめておいて継続できるのになぁ、って、駅を歩きながら少し前に考えた。 あと、思考のバージョン管理がしたい。思考というか、自分全体をリポジトリに突っ込んで管理したい。つまり過去の状態にいつでも戻れるという前提があるならば、変化も楽だよねというアレなんじゃないんですか? って、誰に聞いているの?

  • 日常に生きることの重要性 - 氾濫原

    日常に生きることの重要性について、最近よく考えるし、誰かの言葉や、誰かの言動によって考えさせられる。 普通の日常がどれだけ大事かってことには、なかなか気づけない。一旦気づけても、すぐに忘れてしまう。すごく「慣れ」というのに弱い。 その日常や、普通が、すごく重要なのに、遠くを見すぎて、「普通」じゃないほうがいいという思考で、忘れてしまう。個性/アイデンティティを考えるとき「普通さ」は悪く感じる。でもたぶんそうじゃないんだよなぁ。 少し前に電車内で見かけた女の子の普通さになんだかすごく心を打たれた。すごく普通だった。ちゃんと、日常的だった。それが逆に違和感になって、自分に入ってきた。 たぶん自分が考えている「普通さ」は、想像上のもので、多数決的な普通とは違うのかもしれない。できるだけ「普通」っていう言葉を使わない人もいるぐらい、曖昧だし。 アイデンティティを「たった一つの特徴」みたいに誤解して