WLPM MISSION STATEMENT いのちのことば社伝道グループは、キリストのからだなる教会の一員として、諸教会に仕える超教派伝道団体であり、社会的責任を果たしつつ(創世記1:28)、主イエスの大宣教命令(マタイ28:18~20)に従って福音の前進に努めます。 私たちは、人々がイエス・キリストへの信仰を持つことを助け、クリスチャンの霊的成長に資するために、神のことばである聖書をはじめ、キリスト教書籍の出版およびそれに伴う事業をもって諸活動を行い、キリスト教的価値観を広く提供していきます。 私たちは、同労者を大切にします。神に召し出された者であるとの自覚を持ち、互いに尊敬し、祈りと献身のうちに、与えられた賜物を生かして日々の働きに従事します。そして、私たちの働きによって生みだされたものすべてが神に栄光を帰することを望みます。 詳しくは
けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで── 1月号に掲載した「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」に対し、4月号で7人の論者が「応答」した。「ギャンブルに負けるのはあなただ」「戦争待望の妄言だけは許せない」といった厳しい批判を、筆者はどう受け止めたのか──。 「論座」4月号に掲載された、私の文章への応答を拝読させていただいた。 いずれも高名な方々に、それぞれのスタンスを明確に表明しながら誠実に対応していただいたことは、非常に光栄に思う。また、ネット上でもさまざまなサイトで言及していただいた。私の論を肯定するにせよ非難するにせよ、そうした論争の源泉になれたことは、産みの苦しみに耐えながら文章を書きあげたかいがあったと思う。 しかし、「希望は、戦争。」というキャッチがあまりに強烈であったために、私が本当に言いたかったこ
「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。 平和とはいったい、なんなのだろう? 最近、そんなことを考えることが多くなった。 夜勤明けの日曜日の朝、家に帰って寝る前に近所のショッピングセンターに出かけると、私と同年代とおぼしきお父さんが、妻と子どもを連れて、仲良さそうにショッピングを楽しんでいる。男も30歳を過ぎると、怒濤の結婚ラッシュが始まるようで、かつての友人たちも次々に結婚を決めている。 一方、私はといえば、結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱である。ニュースを見ると「フリーターがGDPを押し下げている」などと直接的な批判を向けられることがある。「子どもの安全・安心のために街頭にカメラを設置して不審者を監視する」とアナウンサーが読み上げ
キリスト教受容の現代的課題 -死者儀礼、とくに墓地を中心に- 一 問題の所在 現代日本において、キリスト教系学校は私学全体の二割を占めている(1)。だが、そこへ通学するのはキリスト教信徒だけではない。むしろ、信徒ではない生徒や教師が多数を占めている(2)。また近年、非信徒たちによる「キリスト教式」結婚式も盛んに行われている。とはいえそれらの人々の多くは、式を契機に入信するわけではない。これらのことは、日本社会で「キリスト教」が表面的に受容されている証左と言えるだろう。そこで想起されるのは、「キリスト教信仰が、一つの思想として受けとめられているために、信仰がまったく個人的いや私的なものとなっている」という指摘である(3)。そして、教会指導者たちは「全人口の一%にも満たない信者数・・」と言い続けている。 だが、一%程度の信者数にもかかわらず、キリスト教に関する研究は少なくない。神学ばか
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く