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webと心理に関するchoki_panchaのブックマーク (9)

  • ネット上にいるのは「リアルな虚偽の人格」:研究結果 | WIRED VISION

    前の記事 「筋力発電」の最先端:「体内でも利用可能な」圧電性ゴム ネット上にいるのは「リアルな虚偽の人格」:研究結果 2010年3月 2日 メディア コメント: トラックバック (0) フィードメディア Bruce Bower Image: escapedtowisconsin/Flickr 1匹の犬が、もう1匹の犬に語る。「インターネットではね、犬だってことは誰にもわからないんだ」。『New Yorker』誌に掲載された有名な風刺マンガだ。[1993年に掲載されたもので、同誌で最もリプリントされたマンガだという。実際のマンガはこちら] インターネットは、デジタル的な詐欺の巣窟だと評判が悪い。しかし、ソーシャルネットワーク・サイト(SNS)『Facebook』では、見せているイメージが実際と等しい『WYSIWYG』[「あなたが見るものはあなたが得るもの」の頭文字]が成り立つ傾向があることが

  • 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分のべたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • geekと女の子的感覚の違い - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

    ここでは、 geek = (ソーシャルナントカ慣れしたネットオタク) 女の子 = (そうじゃない女の子) として書くよ。 (女の子) ブログ等を含むネット上の交流は井戸端会議的な感覚 井戸端会議だから、少し通行人の耳に入る程度は許容できるけど それを勝手にテレビに映されると困る (geek) 閲覧制限でも設けていない限り、ネット上の発言が、いつ誰にどんな状態で見られるかもしれないことを知っている ニックネームや、その他特定できる情報から、いつ誰に、自分に関する他の情報が結びつけられて知られるかもしれないことを知っている 自分の日記やつぶやきが、ある日突然、大きなメディアや2chの祭り会場にとりあげられる可能性があることを知っている それが技術的に可能である・当たり前にできることを知っているから、自分がそれをする・されることを当たり前に受け入れられる ■たとえば、はてなスターで 誰につけた・

    geekと女の子的感覚の違い - ぼくはまちちゃん!(Hatena)
  • 「ネットに居る」という感覚 - coconutsfine's blog

    昨日友人からの携帯のメールを見落としていて友人に小言を言われたのだけど、携帯のメールをあまり見ない僕は「僕と連絡をとりたかったらネット経由で話しかけてくれ。大抵常にネットに居るから」というようなことを友人に言った。僕は何の違和感もなく「ネットに居る」という言葉を使ったのだが、友人にはそれが新鮮で文学的に聞こえたらしく、「何だよネットに居るって」とのようなことを言われた。 twitterで常時他人と私生活を混合して、用事があったら携帯よりもskypeでというような生活をしている人間はマイノリティーなのだろうとは理解しているのだけれども、「ネットに居る」という感覚が大多数の人には理解しがたいものなのだと考えさせられた。僕の通っている学部は情報系なので、テレビの話よりもネットの話の方がしやすい。しかし、それはニコニコ動画の話だとか2ちゃんねるの話だとかGoogle Street Viewの話がで

    「ネットに居る」という感覚 - coconutsfine's blog
  • 過剰なネット承認欲求と、神経の磨耗について - シロクマの屑籠

    ネット上の人間はなぜ、pixivに絵をアップするのか?どうしてtwitterblogにあれこれ書くか?その動機のかなりの部分が、“他人からのまなざしに触れたい”“他人に認めて貰いたい”“認めて貰いたい”といった欲求に占められていることは、既に多くの人が気づいていることと思う。ポジショントークの必要なプロフェッショナルはともかく、アマチュアユーザーが何かに言及し、なにがしかのコンテンツを創りあげアップロードする駆動力の源は、いわゆる承認欲求による部分が大きい。 私は、承認欲求を抱いていること自体は人間として自然なことだと思うし、それがコンテンツのかたちで昇華されることも喜ばしいと思っているけれども、この手の承認欲求を追い求めすぎるあまり、神経をすり減らすような状況は好ましくないとも感じる。しかし、インターネットサービスの殆どは、この承認欲求の欲求を焚き付けたり、限界まで搾り取るには適してい

    過剰なネット承認欲求と、神経の磨耗について - シロクマの屑籠
  • 掲示板に書かれたことが全てではない - ARTIFACT@はてブロ

    秋葉原無差別殺傷事件の犯人に関して、労働環境や恋愛に対する不満を掲示板に書き込んでいたことがクローズアップされている。 加藤容疑者「車で多額の借金」、リストラ情報でも不安 : 秋葉原無差別殺傷 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) ところが、この借金については友人に対しては相当愚痴をこぼしていたのに対して、掲示板で書き込みをしていない。このことから、犯人は掲示板に書く内容に関して、内容を選んでいたといえるだろう。 ※追記 http://www11.atwiki.jp/akb_080608/pages/26.html 車のローン - Google 検索 車のローンについては言及しているという指摘があった。ただ、この一つの書き込みだけなので、他の話題に比べて相当分量が少ないとはいえる。 asahi.com(朝日新聞社):「親とうまくいっていない」 加藤容疑者、孤立深める? -

    掲示板に書かれたことが全てではない - ARTIFACT@はてブロ
  • ネットでの人格管理あなたはちゃんと出来てますか? - てきとうらいふ

    リアルではちゃんとしてるのに、ネットだとみんな分裂気味だと思うのでそれについてのお話です。 僕も立派に分裂してるんですが、なんで分裂しちゃうのか考えた。 リアルではみんなちゃんとしてる リアルな場面では、自分がいる状況とか場所とか相手に合わせて、服装を変えたり話し方を変えたりします。 取引先の専務に合うときは失礼のないようスーツをビシッとキメ、専務の好きなゴルフの話などしてみたりします。 気心の知れた相手の前ではおならが出ても、エヘヘで済ませちゃいます。 こういうふうに態度を変えることは、表裏のある人間だとか批判されるものではなくて、場をわきまえた対応のできる大人なのだと評価されるものです。 どういう相手にどういう態度で対応するか。 どんな場面でどんな格好をするか。 どこでもどの相手にも同じ態度で接している人間は、ある意味純粋ですが、社会性というものの欠如を疑われます。 ネットではイマイチ

    ネットでの人格管理あなたはちゃんと出来てますか? - てきとうらいふ
  • なんでも評点:人は選択肢が多いほど疲れることが判明 ― だからネタ探しは重労働。能動的なネットが受動的なテレビに勝てないのもこのため?

    人は選択肢が多いほど疲れることが判明 ― だからネタ探しは重労働。能動的なネットが受動的なテレビに勝てないのもこのため? われわれは「情報の多さに疲れる」というような表現をすることがある。しかし、人間は情報量が多すぎると当に疲れてしまうのだろうか? たとえば、テレビを観ている人は、実に大量の視覚情報と聴覚情報にさらされている。だが、テレビを観ているだけで疲労感を覚える人はあまりいないはずだ。 ネットの世界は自分で情報を取捨選択しないと先へ進むことができない。能動的な意思決定が求められる。一方、テレビはこちらの都合など関係なく、情報を延々と流し続ける。(少なくとも現時点の地上波テレビでは)視聴者に残された能動的要素があるとすれば、チャンネルを変えるか、テレビの電源を切るか・・・ぐらいのことしかない。 まあ、テレビを観ていて“うんざり”することなら、いくらでもあるだろう。しかし、それは“情報

  • 決してフィルタリングできない子供の中の最強の異物 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    日経トレンディネットに注目すべき特集記事が上がっている。 親の安心によって子供が“失う”もの 「携帯フィルタリング」の波紋 - 日経トレンディネット しかしながら、こうした若者の携帯サイト利用におけるポジティブな側面が、正しい形でメディアに取り上げられる機会はほとんどなかった。そのため多くの「親」は、普段自らが触れることのない携帯サイトのネガティブな報道のみに触れ、不安を増長させているように感じてならない。 特集は、親世代の多くが普段触れることのない、携帯サイトにおける若者達の「日常の姿」を知ってもらうことを主旨とする。携帯サイトの悪い部分だけでなく、良い部分についてもよく理解し、フィルタリングをはじめとした「子供とケータイの付き合い方」について、改めて考えてもらうことができれば幸いだ。 まだ、途中までしか出てないが、携帯利用の「日常の姿」として、ポジティブなソーシャルサイトの事例がいく

    決してフィルタリングできない子供の中の最強の異物 - アンカテ(Uncategorizable Blog)
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