昨日西安滞在の旅から戻りました。上は西安のシンボル、大雁塔。 さて今回、日程に2004年に西安の西北大学が発見した唐代の日本人官吏、井真成(いのまなり)の墓誌を、西北大学の博物館で見学しました。これは日本という国号が書かれた最古の記述として知られています。ちなみに倭と呼ばれていた当時の日本に『日本』と名付けたのは則天武后という説もありますが、真実は如何。 説明も館長さん直々で、詳しく説明していただきました。 井真成は717年、阿倍仲麻呂や吉備真備と共に第8回遣唐使の一員として渡唐し、当時長安と言われた唐の都・西安で王朝の官吏として登用され、時の皇帝からも気に入られていたと言われています。しかし病気のため36歳で早逝。葬儀が唐の国費で賄われことからも皇帝の寵愛のほどが分かります。 その墓碑銘がこれ。 ≪抄訳≫ウィキペディアより 姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。生まれつき優秀で、国