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communicationと*セルクマに関するchrojuのブックマーク (3)

  • リア充になれなくてもコミュ充にはなれる(たぶん) - the world was not enough

    エントリー書いてる暇あったらエントリーシート書けよ!みたいな状況なので全然ブログ更新してないですが、社会人になってもブログ続けてたいなら今も書かなきゃならんよなーなどと思ってます。1記事1時間、それぐらいの時間を週に1度ぐらい取ることはできるはずですから。 というか、書かねばもったいないのですよ。就活なんて今しかしない(来年するかもしれないけど)のに、それを記録しないというのはもったいないと思う。終わってから振り返って書いたところで、それは偽物の気がするのですよね。というわけで、就活系エントリーを一つ。 露骨にコミュ力を嫌わなくてもいいじゃない コミュ力っていうなんかわかるようなわかんないような言葉が最近もてはやされています。個人的にも好きな言葉じゃないことは事実なんですが、それは何故かと言えば「コミュ力がある=リア充」って図式が少なからず成り立つからだと思うのです。 友達少ない人はわかる

    リア充になれなくてもコミュ充にはなれる(たぶん) - the world was not enough
  • 諸君、私は電話が嫌いだ - the world was not enough

    ネタじゃなくて結構ガチで電話が嫌いです。同意していただける方も多いかと思いますが。 電話は不意に時間を刈り取っていく ヤツは僕が料理していようが寝る準備をしていようが友人としゃべっていようが、どんなときでもお構いなく突如として鳴り出し、僕の時間を刈り取ろうとしやがるのです。あの傍若無人な振る舞いが当にムカつくんです。特に自分が集中して作業をしているときだとめちゃめちゃ頭に来たりします。「別に出なきゃいい」とか「取りあえず出て『後でかけ直す』って言えばいい」って思われるかもしれませんが、なんかもう鳴っちゃった時点で萎えるんですよ。かといってオフにしておくと、あとで相手から「地下にでもいたの?」と問い詰められる。 メールなら別に後で応答すればいいから気に障らない。でも電話だとその時点でやっていたことを一時中断して、相手との会話に強制的に移行しなくてはならなくなります。何コレ。なんでこっちの意

    諸君、私は電話が嫌いだ - the world was not enough
  • すべての価値はコミュニケーションから - the world was not enough

    ※長文だらだらエントリー。二部作の後編になります。前編はこちら→長文ブログを頻繁に上げる人を尊敬する - 一詩人の最初の歌 さて、それでは前回予告したとおり、「果たして当にブログがアウトプットになっているのかということ」について書こうかと思います。 僕が何を言いたいのかというと、要はブログを単に書いているだけじゃアウトプットとしては片手落ち*1ではないかということです。確かに「書く」という作業を通して、自らの考えやら何やらを外に出す、すなわち「アウトプット」してはいるんですけど、単に書いて終わりじゃその外に出されたものは何も生み出さない。つまり、それは誰か第三者の目に触れて、初めて大きな意味を成すようになっていくんじゃないかと思うんです。 ブログで誰かに見られると、ひょっとしたらコメントがつくかもしれません。あるいはトラバで長い反論や別視点からの意見がもらえるかもしれません。それだけでも

    すべての価値はコミュニケーションから - the world was not enough
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