奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかり、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。645年に乙(いっ)巳(し)の変(大化改新)を起こした中(なかの)大(おお)兄(えの)皇(おう)子(じ)(天智天皇)と中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、橿考研は「広場の景観を復元する重要な資料になる」としている。 農業用水路の改修に伴う調査で、幅2・4メートル、長さ80センチ分の石敷きを確認。10~20センチ大の石が敷かれ、縁石も残っていた。 石敷きは東に約100メートル延長すると飛鳥寺西門跡に達し、約150メートル西には乙巳の変で滅んだ蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(し)・入(いる)鹿(か)親子が邸宅を構えたとされる甘(あま)樫(かしの)丘(おか)がそびえる。 橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・