クリックして拡大する古都・奈良に春の訪れを告げる東大寺二月堂の「お水取り」(多重露光)=1日午後7時17分、奈良市の東大寺(沢野貴信撮影) 春を呼ぶ東大寺二月堂(奈良市)の修二会(しゅにえ)(お水取り)が1日、本行入りした。二月堂の舞台を駆けめぐる「お松明(たいまつ)」の炎に、参拝客からはどよめきの声が上がった。 午後7時ごろ、錬行衆と呼ばれる僧侶の足元を照らす長さ6メートルの松明を担いだ童子が次々に舞台へ。錬行衆が堂内に入るのを見届けると舞台を走り、炎を揺らした。 舞台からは松明の火の粉が降り注ぎ、多くの参拝客が両手を差し出した。触れると1年を無病息災で過ごせるという。お松明は14日まで毎夜続けられる。
法隆寺(奈良県斑鳩町)で平成16年に出土した遺物から、7世紀前半の図柄や色彩などが残る壁画片約350点が新たに確認されたことが23日、同町教委の調査でわかった。これまでに見つかっている壁画片と同タイプで、「初代法隆寺」とされる若草伽藍(がらん)に描かれていた可能性が高く、国内最古の寺院壁画とされる資料がさらに補強された。 これまでに確認された壁画片は、焼けた痕跡から日本書紀に記された「法隆寺焼失」を裏付ける一級の資料として知られる。その後の洗浄作業などで新たに確認された壁画片は数ミリから5センチ大。線状の図柄や朱色などの顔料、白土が残っていた。壁画片は18年の調査でも見つかっており、併せて貴重な資料になるという。 若草伽藍は現・法隆寺金堂の南東に金堂と塔が縦列に並んでいたとされる。壁画については奈良文化財研究所の田辺征夫所長が「現在の金堂が若草伽藍を踏襲したとすると、その金堂にも浄土の壁画
日本最古の安産、求子(ぐし)(子授け)祈願の寺として知られる奈良市今市町の帯解寺(おびとけでら)の参拝者が増えている。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公、江(ごう)が出産祈願をした寺として紹介され人気を呼び、子授け祈願に例年の倍以上の参拝者が訪れている。昨年の大河ドラマによる全国的な“龍馬ブーム”には無縁だった奈良だが、今年はブームを先取りした格好だ。 帯解寺は1150年ほど前の平安時代、子宝に恵まれなかった文徳天皇のきさき、染殿(そめどの)皇后が祈願したところ男子を出産、腹に巻いていた帯を無事に解くことができた、という故事が由来。本尊の地蔵菩薩像(鎌倉時代、重要文化財)は「腹帯地蔵」ともいわれる。 江も徳川幕府の2代将軍、秀忠の正室となったものの世継ぎに恵まれず、悩んだ末に同寺を訪れ、男子出産を祈願。まもなく5人目の子供として、後の3代将軍、家光を授かったという。 このエピソ
薬師寺(奈良市)所蔵で、江戸時代の仏像と伝わっていた木造十一面観音菩薩像(像高53センチ)が、実際は約千年前の平安時代の聖観音(しょうかんのん)菩薩像だったことが分かり14日、同寺が発表した。修復のため仏像に貼られた和紙をはがした結果、江戸時代に改造されていたことが判明。同寺は「リニューアルして逆に古くなりました」と驚いている。 同寺によると、この仏像は、和紙を貼り彩色を施す江戸時代の技法が使われていたことから当時の十一面観音菩薩像とされていた。同寺の大宝蔵殿で保管していたが、両腕がなくなり鼻が欠けるなど傷みが激しくなり、修復と調査を「矢野造形技法研究所」(京都府木津川市)に依頼した。 ところが、同研究所が和紙をはがして調べた結果、ヒノキ材の一木彫で全体の造形から平安時代中期の仏像と判明。さらに奈良国立博物館文化財保存修理所(奈良市)の平成20年4月からの調査で、仏像の頭頂部が切断され、江
奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかり、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。645年に乙(いっ)巳(し)の変(大化改新)を起こした中(なかの)大(おお)兄(えの)皇(おう)子(じ)(天智天皇)と中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、橿考研は「広場の景観を復元する重要な資料になる」としている。 農業用水路の改修に伴う調査で、幅2・4メートル、長さ80センチ分の石敷きを確認。10~20センチ大の石が敷かれ、縁石も残っていた。 石敷きは東に約100メートル延長すると飛鳥寺西門跡に達し、約150メートル西には乙巳の変で滅んだ蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(し)・入(いる)鹿(か)親子が邸宅を構えたとされる甘(あま)樫(かしの)丘(おか)がそびえる。 橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・
クリックして拡大する瑠璃色をモチーフにした電飾で奈良の名所をライトアップする「しあわせ回廊 なら瑠璃絵」の試験点灯が行われた=7日午後、奈良市の新公会堂(渡守麻衣撮影) 冬の夜に光の回廊を演出する「しあわせ回廊 なら瑠璃絵(るりえ)」の試験点灯が7日、奈良市の奈良公園一帯で行われ、観光客らが幻想的な光に包まれながら、そぞろ歩きを楽しんだ。 冬の閑散期に観光客を呼び込もうと、昨年初めて開催された。会期中約40万人の人出が見込まれている。 午後6時ごろから、東大寺や奈良国立博物館、県新公会堂など各所で約10万個のLED(発光ダイオード)が灯されると、家族連れやカップルらが淡い光に歓声をあげていた。 点灯は今月8~14日、いずれも午後5時半~8時半に行われ、興福寺五重塔もライトアップされる。障害者や高齢者を対象に、県新公会堂や春日大社などのコースを移動する無料の電気バスも運行される。
戦国武将が着飾った甲冑(かっちゅう)の最大生産地が、戦国時代では存在感の薄い奈良だったとみられることが25日、元奈良県立美術館長の宮崎隆旨(たかし)さん(67)の研究で明らかになった。シェアだけでなく品質も他産地を圧倒していたとみられ、需要がピークだった慶長年間(1596~1615年)には、奈良に約440人の甲冑師がいたと推計。奈良産の甲冑が全国的なトップブランドだった可能性が高いという。 甲冑には製造場所が記されず、産業としての研究は進んでいなかったが、宮崎さんは生産地側の文献史料を集め、時代や地域ごとに甲冑師の概数を比較した。 その結果、室町後期から戦国時代を経て江戸中期にかけ、奈良は全国最大の生産地で、ピーク時には約440人の甲冑師が存在し、京都、大阪、江戸がこれに続くことが判明した。 甲冑の一部には作者の銘が印刻されており、海外も含めた各地の甲冑の銘を解読した結果、奈良が群を抜いて
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