citariusのブックマーク (17)

  • 阿藤伯海「哀薔薇」 - 象徴派の周囲

    哀薔薇 林壑久已蕪石道生薔薇 夢に薔薇(サウビ)の癉(ヤ)めるをみたり。 鳥去りて東林白く 澗(タニ)の底、仄かに明けゆけど 夜夜の狭霧に、薔薇は癉みぬ。 木立草立繇(シゲ)れる阿丘(オカ)に 幽かなる径(ミチ)、 径尽きて壑(タニ)も嘿(モダ)せり。 壑の八十陬(ヤソグマ)逗(モ)る光、 風囘(メグ)りて紓(ユルヤ)かに 黝(クロ)く揺げる林の景(カゲ)。 藻草は舞ひて 淪漪(サザナミ)に文(アヤ)を成せど、 澗の水面(ミナモ)に、飛ぶ 青岩魚(アヲイハナ)も見えず。 唯聞くは遠き斧の音(ネ) その韻(ヒビキ)、丁丁(タウタウ) 古曲の如く 壑を度(ワタ)りて長く揺蕩(タユタ)ふ。 曦(ヒ)も暹(ノボ)りて 熒(カガヤ)くは、叢葉(ムラハ)草びら、 巌陰の黄薔薇(クワウサウビ) 夢に匂へど、力なく 靭(ナヨ)かに顫ふ葩(ハナビラ)に 蒼き吐息を瀉(モラ)したり。

    阿藤伯海「哀薔薇」 - 象徴派の周囲
    citarius
    citarius 2021/06/14
    阿藤伯海の日本語による詩
  • 漢詩と象徴詩 - 象徴派の周囲

    漢詩を楽しんでいる日人はどのくらいいるのだろうか。1パーセントを切っているのは確実だろう。ことによったら、0.1パーセントすら危ういかもしれぬ。 というわけで、あまり人気のない漢詩だが、ときどきこれは、と思うようなのがないわけではない。最近、象徴派の文献を漁っていてたまたま知った阿藤伯海、この明治生れの漢詩人が、私にとって特別な存在になりつつある。 手始めに読んだのは、定金恒次氏の書いた『阿藤伯海の世界』というだった(岡山文庫 316)。これは評伝というのか、評論的伝記であって、ところどころに伯海の詩が読み下し文つきで紹介されている。誤字脱字が散見するのは除けば、読みやすい良書だといえる。 このに頻繁に引用されているのが、清岡卓行の『詩礼伝家』というだ。これは、おそらく伯海について書かれたもののうちでは筆頭に置かれるべきものだろう。 ところで、伯海自身の著作として何があるかといえば

    漢詩と象徴詩 - 象徴派の周囲
    citarius
    citarius 2021/06/14
    『大簡詩草』紹介
  • 魑魅魍魎の歌 - 人もすなる象徴詩といふものを

    魑よ、魅よ、魍よ、魎よ、 どんなに珍奇な植物よりも、 どんなに綺麗な動物よりも、 おまえたちのほうが私は好きだ。 あるとしもないあやかしよ、 ひとのえ知らぬおよずれよ。 魑、火の娘、樹から生まれたドリアッド、 髪をなびかせ山野を跋渉し、 火に棲む蜥蜴を使い物にするおまえは 痴笑いを浮べた牧羊神のこよなき伴侶。 魅、水の精、乙女さびたるナイアッド、 瘴気漂う隠沼に裸身をさらし、 水波女と妍を競うおまえの髪に 滴る水しぶきはさながらに阿古屋の珠。 魍、木石の精、陽炎に立つオレアッド、 耳長く目赤く、姿かたちは童女のごとく、 地中に住む侏儒たちと手に手を取って 人間の赤ん坊をあやしにやってくる。 魎、海の微風、波に浮ぶネレイッド、 おまえがのけざまに結ぶ夢は蜃気楼、 そこには東邦の壮麗が彷彿と現じ、 ジルフェの歌はそのまま光明となる。 魑よ、魅よ、魍よ、魎よ、 どんなに可憐な妖精よりも どんなに

    魑魅魍魎の歌 - 人もすなる象徴詩といふものを
    citarius
    citarius 2021/06/14
    グールモンと敏とのパロディ
  • 田島裕子「あざやかに生きて」 - 短小亭日乗

    今週のお題「わたしの好きな歌」 たった一回聴いただけの曲が、なぜか執拗に記憶にとどまることがある。たとえば私の場合、田島裕子の「あざやかに生きて」がそれだ。 じつはこの歌手名も、曲名も、私にとっては長いこと謎だった。なにしろ大昔に一度、テレビでスタジオライブを見ただけで、その後はまったく耳にしないまま長年月がすぎたのだから。あやふやな記憶で「しなやかに生きて」という曲名だったような気がしていたが、検索をかけてもまったくヒットしなかった。私の見たと信ずるものは幻だったのでは? という疑いすら頭をもたげてきた。 ところが近年、検索エンジンの性能が飛躍的に向上した結果、インプットに少々誤りがあっても、正解の近くまで導いてくれるようになったのである。「しなやかに生きて」で検索すると、「あざやかに生きて」という曲が引っかかってくる。もしやと思って調べてみたら、これこそ私が長年求め続けていた曲だという

    田島裕子「あざやかに生きて」 - 短小亭日乗
    citarius
    citarius 2021/01/21
    隠れた名曲
  • Bodil Joensen - Wikipedia

    citarius
    citarius 2020/01/18
    動物愛好家ボディル・ヨエンセン
  • MONSTER BRAINS

    I spend many hours tracking down artwork, scanning, editing, cleaning up and formatting much of the content shared here. You can show your support and help keep Monster Brains ad free by donating any amount, thank you! When I'm not tracking down monstrous imagery to share here I'm usually creating my own strange art seen at aeronalfrey.com I'm available for commissions, album art and more, contact

    citarius
    citarius 2020/01/18
    愉快な絵のサイト
  • Présentation

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    citarius 2020/01/18
    オカルトのページ
  • 広田修 - THE POETRY SNS 現代詩フォーラム

    citarius
    citarius 2020/01/18
    詩の投稿サイト、だと思われる
  • [Memo]「さくら」という名の猫についての覚書 - a2004のブログ

    約22年前に我が実家に彼女がやってきた経緯というのは、その半年前に茶々丸という名のが死んだことから始まる。茶々丸は、ずいぶん社交的な雌であり、大変モテました。嫌いだった母もすっかり気に入ってしまうほどの愛嬌もあった。それが祟ってか2歳半の若さで夜遊び中の交通事故死。死んだという報告をしてくれた母は、そのまま電話口でオイオイと泣き続けて会話にならなった。 そして半年後の春。母が子を拾ってきた。あれほど死んで哀しい思いをするのなら生きものは二度と飼わないと言っていたのに。以下は、記憶に残っている母の言い分。 - 買い物のためにほぼ毎日、自転車で通る川があって、ある日、子5〜6匹が川を挟んで反対側の並木の1につながれているのが見えた。近所の知的障害のある男の人が首に縄をかけて縛っていた。餌の入れ物もあったから、多分、世話をしているつもりだったんだと思う。でも、犬ならともかくを縛りつ

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    citarius
    citarius 2020/01/18
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  • 老猫の脱皮、猫又 - a2004のブログ

    実家に一週間ほど帰っておりました。 数年前、夏場に点滴を打って命を永らえたとここに書いた実家の老(メス)*1ですが、まだ生きてます。たぶん、22歳です。人間で言ったら100歳は既に超えてるらしいのですが、じゃ百何歳にあたるのかはよく分かりません。今年の猛暑は点滴なしで乗り切ったとのこと。進化してるのか!?かかりつけの獣医さんも「この子は化けの領域だね…」とあきれてるそうです。 その他にも、彼女には謎の行動・エピソードが尽きないのですが、両親によるこの夏、最も衝撃的だった出来事は… 父が久しぶりにシャンプーで彼女の体をゴシゴシ洗っていたところ 「背中がパックリ2つに割れた!?」 と仰天。 いや、落ち着いて恐る恐る覗いてみると 「脱皮!?」 そして、シャンプー直後に記念に撮った一枚。 脱皮部分のアップ:下から新しい毛が生えている。 寄る年波には勝てず、体が硬くなったか、面倒くさくなったのか

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    citarius
    citarius 2020/01/18
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  • 大正新脩大藏經テキストデータベース

    2023/12/30、浄土真宗聖典オンライン検索システムとの連携検索機能を実装しました。 2023/11/26、 国立国会図書館古典籍OCRを用いた増上寺普寧版大蔵経の位置合わせ機能を追加しました。これにより、増上寺三大蔵のすべてに対応できたことになりました。 2023/11/20、 国立国会図書館古典籍OCRを用いた増上寺高麗版大蔵経及び増上寺思渓版の位置合わせ機能を追加しました。 2023/11/16、画像サーバのメンテナンスのため、10:00~11:00頃は仏典画像の一部にアクセスできない場合があります。ご注意ください。 2023/9/1、 国立国会図書館古典籍OCRを用いた宮内庁宋版一切経及び東大嘉興蔵の位置合わせ機能を追加しました。 2023/7/5、東京大学総合図書館所蔵 サンスクリット写 データベースの公開に協力しました。 2022/11/19(土) 9時 ~ 15時の間に

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    citarius 2020/01/18
    漢訳大蔵経
  • カルロス・シュヴァーベ - 象徴派の周囲

    私が最初に象徴派の絵を知ったのは、高校のころ買ったボードレールの対訳詩集の表紙においてだ。ペンギン版のそのに使われていた絵は、じつに衝撃的だった。この一枚で、Carlos Schwabe という画家の名前は、私の記憶に深く刻みつけられたのである。 たしかそれは1970年代の終りごろで、その数年後、1982年から1983年にかけて、「ベルギー象徴派展」というのが日にきた。これも私には画期的な企画展だった。そのときの図録が手元にあるが、それを見ると、カルロス・シュヴァーベの作品は含まれていない。それもそのはずで、彼はベルギー人ではなくスイス人なのだ。しかし、彼の手掛けた、第一回の「薔薇十字展」のポスターなどを見るかぎり、ベルギー象徴派との親和性は高そうだ。 その次に私が見た彼の作品は、1988年に出た岩波文庫の『ペレアスとメリザンド』の中の挿絵だった。それには「挿絵 = CARLOS SC

    カルロス・シュヴァーベ - 象徴派の周囲
    citarius
    citarius 2019/11/17
    象徴派の画家でベスト5に入る人
  • 中村隆夫『象徴主義と世紀末世界』 - 象徴派の周囲

    今年(2019年)の8月に出たばかりのだが、完全な新著というわけではなくて、根幹をなす部分は1998年に出た『象徴主義 モダニズムへの警鐘』をそのまま使ってある。第I部の10章と11章とが、新たに付け加えられた部分で、ページ数でいえば60ページ余り。以下にざっと内容をメモしておく。 第I部、象徴主義──モダニズムへの警鐘 1-1 第三共和制は、フランス革命の理想がほぼ実現された時代である。 1-2 フランスの第三共和制はブルジョワの時代であり、印象派の時代である。 1-3 印象派は、19世紀後半の明るい側面、つまり昼の精神を代表している。 2 1886年は象徴主義にとって記念すべき年である。一例、モレアスの「象徴主義宣言」。 3 夜の精神としての象徴主義。現実的合理性への嫌悪と、神秘的世界への憧憬。 4 メランコリーは象徴派の鍵概念。 5 超越的なものへの憧憬と、それがつねには叶えられず

    中村隆夫『象徴主義と世紀末世界』 - 象徴派の周囲
    citarius
    citarius 2019/11/17
    美術中心の本
  • 象徴について - 象徴派の周囲

    私は象徴派が好きなので、象徴という言葉にまでなにやら特別な意味合いをもたせたがる傾向があるが、象徴(シンボル)をその語源であるギリシャ語のシュンボロンにまで遡って考えてみると、これはいわゆる「割符」であって、神秘的なものでもなんでもないことが分る。割符とは、一般的にいえば、二つに割ったものの片割れだ。 象徴主義における象徴とは、その片方が永遠に失われた割符だと思えばいい。それだけでは元の半分なので、全体を復元するためには、その失われた半分をなんらかの方法で補わなければならないのだ。これを具体的にいえば、象徴派の詩なり絵なりを前にしたとき、われわれはその作品全体を一個の象徴とみなして、それが暗示する補完的なものの存在を、意識的にせよ、無意識的にせよ、脳裡に思い浮べる必要がある。 その際、論理に頼って、いわば理詰めで作品を解釈しようとしないこと。それよりむしろ、思考をなるべくゼロにして、無意識

    象徴について - 象徴派の周囲
    citarius
    citarius 2019/11/17
    象徴と寓意の違い
  • 男女の行動の違い - そぞろごと

    citarius
    citarius 2019/08/24
    男は論じたがり、女は語りたがる
  • レルベルグとフォーレ - 短小亭日乗

    ベルギー象徴派の代表的な詩人にシャルル・ヴァン・レルベルグがいる。この人は私のちょうど100歳年上で、生まれた月もいっしょなら、日も3日しか違わない。だからどうしたといわれるかもしれないが、こういうところにもなんとなく親近感をおぼえる。 レルベルグは日ではあまり知られていないが、全世界的に見ても不朽の詩人である。なぜかといえば、彼はガブリエル・フォーレの晩年の傑作歌曲集『閉ざされた庭』と『イヴの歌』に歌詞を提供しているからで、フォーレの歌曲が聴きつづけられるかぎり、付帯的にレルベルグの詩も生きつづけることになるのだ。 フォーレの『閉ざされた庭』に収められている EXAUCEMENT(叶えられた願い) を和訳してみる。 きみがその疲れた額を 光り輝く両手にうずめるとき、 きみの祈りに応えて私の愛が 大願成就とあらわれますように。 まだふるえているきみの口に 言葉がとだえ、 その口もとがほこ

    レルベルグとフォーレ - 短小亭日乗
    citarius
    citarius 2019/08/20
    サンボリスムの精華
  • 永遠の夏 ── L'été éternel - 短小亭日乗

    永遠の、とくれば、夏、ですよね。永遠の冬なんていうのは考えにくい。ましてや永遠の春や秋などありえない。それらは来てはまた過ぎ去るものだ。 これは夏をあらわすフランス語が「エテ」なので、それが「エテルネル(永遠の)」を連想させるのだろうか。いやいや、そんな浅薄な理由であるはずがない。 思うに、夏が永遠の感覚を喚び起すのは、おそらく子供のころの夏休みの存在に関係がある。夏休みに入ったころの、つまり7月下旬のあの感覚、休みがいつまでも続くようなあの甘美な感覚が、おそらく「永遠の夏」の印象の因ってきたるところだろう。 私はごろりと横になって目をつぶり、扇風機の風をあびる。そうすると、やはりそういう姿勢で体験した過去の夏の思い出が鮮やかによみがえってくる。それは子供のころ住んでいた安アパートの二階であり、高校のころクラブ活動に出かける前のつかのまの休息であり、あるいは社会人になってから仕事で出た現場

    永遠の夏 ── L'été éternel - 短小亭日乗
    citarius
    citarius 2019/08/19
    永遠の夏の象徴はスイカ
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