ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (2)

  • 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠

    今回の内容は、以前にも誰かが書いていたかもしれない。でもこれから私が書くことを一字一句違わず書いた人はいないはずだから、誰かに届くかもと期待しながら記してみる。 インターネットの普及期と現在を比較して、違っているところを挙げるとしたら何が挙がるだろう? アングラ感の強弱。インターネットの多数派がどんな人なのか。コミュニケーションの主な手段がウェブサイトかブログかSNSか動画か。挙げれば色々ある。 今日、まとめたいのは「誰もが表現者になれる時代の終わり」についてだ。 インターネットではさまざまな新しいネットサービスが流行っては廃れを繰り返してきた。そして共通点がある。どのサービスでも、流行期には「誰もが表現者になれる」という夢が薄らぼんやりと漂い、それに釣られて集まってくる人々がいた。 90年代から00年代のはじめはウェブサイトの時代だった。この頃インターネットをはじめたアーリーアダプターた

    誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠
    cixotas
    cixotas 2023/08/30
    ダイヤが輝くのは照明、皆の評価は席の用意、普段は暗い箱の中にしまってあるけど、照明と席の仕事は既にカット済みのダイヤを店で探すだけになって時代は便利に。性能がダイヤかルビーかガラスなのかは別問題。
  • 上等な百合アニメだった──『リコリスリコイル』、雑感 - シロクマの屑籠

    ねんどろいど リコリス リコイル 錦木千束 ノンスケール プラスチック製 塗装済み可動フィギュア グッドスマイルカンパニー(GOOD SMILE COMPANY)Amazon リコリスリコイルを上質な百合アニメだとみなすようになったのは、いつ頃からだっただろうか。 「そんなの最初からに決まっている」という人もいるだろう。序盤から千束とたきなの二人はかわいらしく、かしましかった。オープニングテーマの蹴りあうシーンは、何度見ても飽きない。 いや、そういうことじゃなくて。 「『リコリスリコイル』はとにかく上質な百合アニメとみなして眺めれば良い、それぐらいの目線で見るのがベストだ」と自覚して、視聴態度というか、視聴照度というかを変更したのはいつ頃だったのかな? と振り返ったりした。 それは中盤あたりからだったように思う。 はじめ、『リコリスリコイル』は、千束とたきなのかしましさや、ガンアクションが

    上等な百合アニメだった──『リコリスリコイル』、雑感 - シロクマの屑籠
    cixotas
    cixotas 2022/09/29
    育て方に失敗した親の葛藤と子供は自分の尺度で生きていくのを同性で描いていく関係性は新しく、それ以外は昔ながらの設定かとおもったけど、昔のそれだけを定番として楽しかったとだけの感想だと何分残念。
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