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  • 「坂本龍馬は大したことしてない」「織田信長は常識人」のような新説が生まれる意味を考える。(”司馬史観”の歪みはどこにあるのか?)|倉本圭造

    「坂龍馬は大したことしてない」「織田信長は常識人」のような新説が生まれる意味を考える。(”司馬史観”の歪みはどこにあるのか?) こんにちは、経営コンサルタント兼思想家の倉圭造です。 今回は、最近「坂龍馬は史実では大した事をしていない」という話がちょいちょいネットの噂話で聞かれるようになってきて、実際のところどういう感じなのか興味あったので調べてみる記事を書きたいと思っています。 あと、織田信長も、「実は信長は常識人で、長篠の戦いの鉄砲三段打ちとかもなかったと言われていて」みたいな話を聞くんですが、なんかこういう「時代に応じて認識が変わっていく」のは、どういう意味があるのかを考えてみたいんですよね。 もちろん、新しい研究成果が出てきて、という事もあるんですが、その細かい史実の積み重ねが「ひとつの像」を形成するにあたっては「その時代のニーズ」も大きいですよね。 例えば足利尊氏が、明治時代

    「坂本龍馬は大したことしてない」「織田信長は常識人」のような新説が生まれる意味を考える。(”司馬史観”の歪みはどこにあるのか?)|倉本圭造
  • 『ウィル・スミスによるビンタ』への反応の日米差から考えるジェンダーフリー|倉本圭造

    Photo by aniestla on Unsplash あまり興味を持ってなくてここまでオオゴトになるとは思っていなかったんですが、アカデミー賞授賞式でウィル・スミスが、を侮辱されたとしてプレゼンターのクリス・ロックにビンタをした事件が話題です。 色んな人が色んな事を言っていて、特に アメリカじゃあウィル・スミスを擁護する声はかなり少ないが、日だと「ウィル・スミスよくやった!」一色な反応なのはなぜなのか? …という話が結構面白くて、なんか色々考えさせられます。 特に、日ではウィル・スミス擁護派が多いのは、「男は女性を守ってやるべきもの」というような古いタイプの性役割が定着しているからで・・・みたいなみたいな分析を結構聞いたんですけど。 この記事では、こういう↑議論は、単に「フェミニズム的に日社会を批判する立場」から重要なんじゃなくて、「フェミニズム的理想と日社会を共存させる」

    『ウィル・スミスによるビンタ』への反応の日米差から考えるジェンダーフリー|倉本圭造
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