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ブックマーク / docseri.hatenablog.jp (5)

  • ミニブログとしてのはてブの可能性は - 妄想科學倶樂部

    URL列記なはてダがspam扱いされたとかなんとか。いやまあその事件自体には別段興味なくて、むしろ「なんではてダでやったんだろう」とか「はてブで満足できないとすれば何故か」みたいな方で。 ニュースサイト系には3種あって、 URLをひたすら列記するだけのもの URLに一言メモを付けるもの テーマごとにURLを混じえつつ意見を書くもの に分類できる、多分。 で、1と2ははてブで充分にカヴァできるので、わざわざはてダでやる理由があるとすれば3の形式だけとなろう。 いや別に1や2をはてダでやっちゃいけない道理はないんだけど、でもはてブでやった方が簡単だよねと。 それでも尚はてダでやろうとするには、むしろ相応の理由があるんだろうと思う。例えばはてブだとユーザごとの纏まりとしてはあんまり見てくれないとか、コメントが欲しいとか、トラバしたい/されたいとか、そういう「ブログじゃないと駄目なんだ」というのが

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  • ニコニコ動画の威力 - 妄想科學倶樂部

    週末ずっとニコニコ動画に見入ってしまった。これは恐ろしい。 巷で話題になったVOCALOID「初音ミク」の歌うzabadak「遠い音楽」を聴くためだけにアカウントを取得してみたところ、その界隈の充実ぶりに驚いた。 正直、動画を見るだけならYoutubeでほとんど用が足りている。ストック量は世界一、日語の扱いにも問題はない。それでもニコニコ動画を集中的に見るのは、コメント投稿による意識共有の心地良さ故だ。 例えば音楽を聴くのに、CDの方が演奏は纏まっていて聴き易いしコストパフォーマンスも高い、にも関らずライヴを聴きに行くのは、その場の雰囲気を楽しむためである。ライヴ録音を聴くのでもなく、やはり「その場にいたい」のだ。 ニコニコ動画のコメントはこれに近い。その場にいてリアルタイムに空気を感じているわけではないが、タイムラインに応じたコメントの応酬により時間も場所も離れたユーザとの感覚共有が可

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    cloverleaf24
    cloverleaf24 2007/09/18
    perfumeみたいな例を増やしていくしかないのか。
  • はてスタ意識過剰 - 妄想科學倶樂部

    なんだかあちこちで「評価されたくない」とか「フレンズを意識させられて窮屈」とかいう意見を目にするのだが、それはちょっと意識過剰なのではないかと。 されたくてもされたくなくても評価は受ける。はてなブックマークだってそうした評価のひとつだし、はてスタと違って避けることもできない。 まあ気にしたくなければ見ないようにすることはできるが、評価を受けないようにすることはできない。 避けようがないなら気にする必要はないんじゃないかと、私は思うのだが仲々そうも行かないのか。 フレンズを意識云々についても意識過剰だ。互いに相手のダイアリを読んでいて、かつ頻繁に注目に値するエントリを投稿している人なら意識せずとも関係は維持されるし、逆に特定個人だけ意識したって巧く行かないものだ。ていうか、そういう書き方はそれ以外の読者を無視することに等しい。 自分の発言に何か反応があることを期待し過ぎる人も、逆に反応を恐れ

    はてスタ意識過剰 - 妄想科學倶樂部
  • はてなスターが不憫なので - 妄想科學倶樂部

    日リリースされたはてなスター、あちこちから不満の声ばかり聞こえる。 間違って付けた星を消せないとか複数回投票可能とか管理画面でOffに設定できないとか、まあ色々言いたいことはあろう。けれど、まずは少しぐらい良いところを見付けてやってもいいのではないか、そんなことを思いながらエントリを書く。 ぱっと見て判る通り、これはエントリ評価システムである。また限定的ながらコメント機能がある。この点では、既存のサーヴィス「はてなブックマーク」と変わりないようにも見える。 ただ、はてなブックマークがあくまで自分のためだけに行なわれるものであるのに対し、はてなスターは相手に評価を伝えるためにある。この違いがどう出るのか、今はまだ判らないが。 奇妙なのはメッセージ機能で、ごく自然に考えれば星を付けた時にエントリ執筆者宛てメッセージを送信したくなるものだと思うのだけれど、敢えてその欲求をスルーして双方向の関係

    はてなスターが不憫なので - 妄想科學倶樂部
  • コミュニケーションとは情報伝達のことではない - 妄想科學倶樂部

    往々にしてヲタク諸氏は自らのコミュニケーションスキルの低さを嘆く。彼らとてそのことに自覚はあるのだ。にも関らず状況が改善しないのは、コミュニケーションについて根的な勘違いをしているからに他ならない。 一般社会で要求される「コミュニケーション」とは情報を相手に伝達することではなく、相手の意思を推測することである。 一般にヲタク諸氏の情報伝達技能は決して低くない。それどころか社会的平均を大きく上回るだろう。これはとりわけ、文筆に於いて饒舌なことからも明らかだ(対面でその饒舌さが鳴りを潜めるのは、また別の話)。 にも関らずコミュニケーションスキルが低いと見做されているのは、相手の真意を図ることができないからだろう。 これはとりわけ会社組織などで顕著な傾向で、報告でも何でも求められているのは「相手が望む情報」であって、断じて「端的な事実の伝達」などではない(まだ社会に出ていない諸兄は学校教育に於

    コミュニケーションとは情報伝達のことではない - 妄想科學倶樂部
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