ブックマーク / number.bunshun.jp (14)

  • 「原君、部がダメになるぞ」ムキになった原晋監督が今も後悔する“最悪のスカウト”…青学大の信念『心根のいいヤツをとる』はいかに生まれたか?(原晋)

    ついに箱根駅伝が開幕する。ここ8大会で6度の優勝を誇り、圧倒的な選手層をもつ青山学院大学は連覇がかかる。「ぐんとハイレベルな戦いとなる。勝つにはブレーキがないこと。今の実力を100%出せば勝てる」と語った原晋監督。どのようなレース展開になるのか、楽しみだ。 昨年の箱根駅伝で青学は大会新記録で優勝し、2位に10分51秒の差をつけた。なぜ青学は常に勝ち続けることのできる強いチームに成長したのか――。その秘密を解き明かす、原晋監督著『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』(アスコム刊)から、「心根の悪い人間が、チームをダメにする」の章を抜粋して紹介する《全3回の3回目/#1、#2からつづく》。 人間性を度外視したチーム編成では勝てない 前にも触れましたが、育成だけでなく、スカウトの段階から人間性を重視すべきだと思い知らされたのは、監督就任3年目のことでした。1年

    「原君、部がダメになるぞ」ムキになった原晋監督が今も後悔する“最悪のスカウト”…青学大の信念『心根のいいヤツをとる』はいかに生まれたか?(原晋)
  • 日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち(中野遼太郎)

    「いや、お前が言うなよ」 これは、僕が海外生活において脳内で発したランキング、堂々1位のセリフです。自分の実力、過去の言動、現在置かれた立場、すべてを棚に上げて平気な顔で意見を言ってくる西洋や南米、アフリカの人たちに対しての第一感であり、「いやいやいや、お前が言うなよ」が第2位であることを考えても、その突出具合は際立っています。 「自分のことは棚に上げる」どころか、あげた棚ごと鍵をかけて窓から放り投げ、割った窓を背景に腕を組んで仁王立ちしているくらいの整合性の取り方の時もあり、僕は困惑や怒りを通り越して尊敬の眼差しを送ることになります。どの口が言うんだよ、よりも先に、反射とも取れるような速度で心の中にある意見を口から表出できることへの羨ましさを感じるのです。 それってこどもの特権じゃないの?と思いつつ、その意見が(僕にとっては)どんなにピントが外れたものでも、目を見て、素早く、堂々と言われ

    日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち(中野遼太郎)
  • 「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)

    2021年、日サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に

    「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)
  • 巨人・桑田真澄コーチ「9回完投135球」論の本質 “昔の俺たちは凄かった”的OBと似て非なるワケ(広尾晃)

    巨人の桑田真澄氏が「9回完投135球」の持論を唱えたのが話題になった。同氏に取材経験もある記者による記録を含めた「球数」考察を前後編の2回に分けてお送りする(後編はこちら)。 新型コロナ禍の春季キャンプでひときわ注目を集めているのが巨人の桑田真澄一軍投手コーチ補佐だ。2006年に退団して以来15年ぶりの巨人復帰である。 そして就任にあたって桑田コーチは「先発投手は9回完投135球を目指すべき」と持論を唱えたことが、大きな話題になっている。 筆者は2016年、東京大学で行われた「野球科学研究会大会」にパネリストとして招かれ、このとき当時東京大学大学院の研究員だった桑田氏の知遇を得た。その誼で2019年に『球数制限』というを刊行するにあたって、桑田氏にコメントを寄せていただいた。顔を合わせれば、意見交換をするような間柄である。 「野球は近い将来マイナースポーツに」 2016年の「野球科学研究

    巨人・桑田真澄コーチ「9回完投135球」論の本質 “昔の俺たちは凄かった”的OBと似て非なるワケ(広尾晃)
  • 「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間(中村計)

    史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で

    「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間(中村計)
  • 32年が凝縮されたライガーvs.みのる。“人間サンドバッグ”と座礼の記憶。(堀江ガンツ)

    試合前の罵り合いも、マスク剥ぎも、鬼神ライガーも、ほんの前振りでしかなかった。 新日プロレス10.14両国国技館で実現した、獣神サンダー・ライガーvs.鈴木みのるの一騎打ち。さまざまな因縁、物語を内包したこの一戦は、両者が32年前に出会ってからのレスラー人生をぶつけ合うような試合となった。 ライガーvs.鈴木といえば、必ず引き合いに出されるのが、2002年11月30日、横浜文化体育館で行われたパンクラスでの一戦だろう。 当時、鈴木は頚椎ヘルニアの影響で、パンクラスで思うような結果が残せなくなり、一度は引退を決意。最後のケジメとして、若手時代のライバル佐々木健介とがむしゃらに闘って燃え尽きようとしたが、健介の辞退により、ファイナルマッチ自体が宙に浮いてしまう。 そんな時、かつての先輩ライガーが、鈴木の行き場のない思いを受け止めて対戦に名乗りを上げ、パンクラス(総合格闘技)ルールで対戦。鈴木

    32年が凝縮されたライガーvs.みのる。“人間サンドバッグ”と座礼の記憶。(堀江ガンツ)
  • さいたまスーパーアリーナは奇跡だ。国内最強の超設備と、唯一の弱点。(池田純)

    2019年のフィギュアスケート世界選手権の会場となった、さいたまスーパーアリーナ。日随一の屋内施設だ。 4月から「さいたまスポーツコミッション」の会長として活動しはじめて、日々さいたまのポテンシャルを発見しています。 地域活性化のキモは“よそ者”とよく言われますが、その土地に住んでいる人がなかなか気づけない、目を向けない、眠っているブランディング価値の高いものごとがそこかしこに存在することを実感する日々です。 中でも新鮮な驚きだったのが、先日じっくりその中を見せていただいた、さいたまスーパーアリーナです……と言うと驚かれるでしょうか。 もちろんスーパーアリーナはみなさんご存知でしょうし、私も何度もコンサートやスポーツイベントで行ったことがありました。でも今回案内をしてもらって、「こんな凄いものをどうやって建てたんだ」と改めて驚きました。 あのアリーナの価値が、あまり世の中には知られていな

    さいたまスーパーアリーナは奇跡だ。国内最強の超設備と、唯一の弱点。(池田純)
  • スポンサーのはずが今や大分サポ。トリニータと浅田飴の幸せな関係。(茂野聡士)

    永六輔が「せき、こえ、のどに……」と言っていたCM以来である。この1年間で“あの企業”の名前をこんなにも多く耳にしたのは。 大分トリニータのファンやサポーター、Jリーグを熱心にチェックしている人だったら答えが分かるかもしれない。 浅田飴だ。 大分はかつて若き日の西川周作、森重真人、清武弘嗣、金崎夢生らを擁して2008年にナビスコカップ優勝を果たした。しかしその後経営難に陥ってJ2降格。そして2015年にはJ1経験クラブとしては初のJ3降格を経験した。 それでもチームは片野坂知宏監督が就任してから、V字回復を果たす。1年でJ2復帰を果たすと、就任3年目の今季は大混戦となったJ2リーグで2位。2013年以来となるJ1復帰を決めた。 そんな片野坂監督の情熱に魅せられ、2018年途中からトリニータのスポンサー企業となったのが浅田飴。そのきっかけはSNSだった。 SNSがきっかけでスポンサー。 いき

    スポンサーのはずが今や大分サポ。トリニータと浅田飴の幸せな関係。(茂野聡士)
  • 最後までプロレスは“辛口”で――。天龍源一郎、堂々たる革命の終焉。(井上崇宏)

    ジャンボ鶴田、阿修羅・原(共に故人)、藤波辰爾(61)、長州力(63)らと半世紀近くも戦い続けたレジェンド。 「(今後については)何も考えていないですよ。答えがあるとしたら……ビールでも飲みますか」 ついさっき、現役生活に終止符を打ったばかりの天龍源一郎は、両国国技館の館内に特設された会見場で、多くのマスコミ関係者に囲まれていた。 逆水平チョップ、グーパンチ、顔面へのつま先蹴り、WARスペシャル、デンジャラス・ドライバー・テンリュー(DDT)、53歳(垂直落下式ブレーンバスター)、そしてパワーボム――。自らの得意技を総動員して、最後の相手であるオカダ・カズチカに対抗したが、やはり勝てなかった。やはり、と言うのは14歳(一説には13歳とも)で大相撲の世界に飛び込んでから通算格闘技生活51年。つまり天龍は65歳になっていた。思うように動かぬボロボロの肉体は、長年の身を削った激闘の代償だった。

    最後までプロレスは“辛口”で――。天龍源一郎、堂々たる革命の終焉。(井上崇宏)
  • 好調のイチローが毎日続ける作業。準備とは言い訳の材料を作らない事。(笹田幸嗣)

    数字がようやくイチローらしさを表すようになってきた。 30日時点、7月の月間成績は27打数9安打、打率.333。球宴休み前にイチローにその事実をぶつけると、彼は苦笑しながらも当然と言った表情を見せた。 「そりゃ、機会があれば、どうにだってしますよ。オールスター直前ですから……。それを言っちゃね、なかなかいいづらい(笑)」 7月もここまで21試合に出場しているが、先発出場はわずかに5試合しかない。相変わらずの不遇起用に変わりはない。それでもスタメン出場を果たした6日のカージナルス戦では3打数2安打、1四球。しっかりと責務を果たす43歳の仕事人に、マーリンズのドン・マッティングリー監督は同じ言葉をいつも繰り返す。 「彼はいつでもしっかりと準備をしてくれている。どんな時でも彼を起用することにためらいを感じたことはない」 球場にくると、イチローはまずスタメンを確認する。 イチローは毎日、球場に来て

    好調のイチローが毎日続ける作業。準備とは言い訳の材料を作らない事。(笹田幸嗣)
  • 東アジア杯で「結果」を追う無意味さ。テストに徹せず、韓国と空しいドロー。(戸塚啓)

    2015年8月5日に行われた東アジアカップの日韓戦は、20世紀の日韓戦のようだった。正確にはハンス・オフトが代表監督に就任する以前の、1991年までのゲームを見ているようだった。 韓国が攻め、日がしのぐ。 韓国が攻め、日がしのぐ。 なおも韓国は攻め、日は耐える。 1991年以前の日韓戦と違ったのは、土壇場で失点を喫しなかったことだろう。1-1の引き分けで、日は終了のホイッスルを聞いた。 試合後のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、「韓国は我々よりも連携が取れていて、ある程度準備が進んでいたチームだ」と話した。 ハリルホジッチ監督と同じ'82年のスペインW杯に出場したウリ・シュティーリケが、昨年10月から韓国を率いている。「日より準備が進んでいる」のは確かだが、この日のスタメンはテストの色彩が濃い。 大会開幕時点で国際Aマッチ出場が2ケタに満たない選手が、実に7人も起用されている。そ

    東アジア杯で「結果」を追う無意味さ。テストに徹せず、韓国と空しいドロー。(戸塚啓)
  • 日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)

    「世界がどんどん走るサッカーをしているのに、南アフリカW杯以降、日ではポゼッションという言葉が流行ってしまった」 杉龍勇(岡崎慎司の専属フィジカルコーチ) 日サッカーには何かが足りない――。ブラジルW杯における日本代表の惨敗を見て、多くの人がそう感じたのではないだろうか。 技術水準が上がり、経験も積んで、戦術の引き出しも増えた。なのにW杯で1勝もできなかった。メキシコ人のアギーレが来ても、ボスニア・ヘルツェゴビナ人のハリルホジッチが来ても停滞感が漂い続けているのは、重要な何かが欠けているからに違いない。 そんなことを考えているとき、答えのひとつを示す人物に出会った。 フィジカルコーチの杉龍勇(法政大学教授)だ。 陸上選手だった杉はベルリン留学を経て、清水エスパルスのフィジカルコーチなどを歴任し、2012年から岡崎慎司の専属コーチを務めている。ブラジルW杯前には吉田麻也の指導も行

    日本代表には、「走る技術」がない?岡崎慎司の専属コーチが語る本質。(木崎伸也)
  • 「僕と一緒に野球をやらないかい」新庄剛志に巨人軍がかけた電話。(Number編集部)

    「でさぁ、新庄君って今、何してるの?」 ふと石橋貴明氏がそう言った。Number877号「日人メジャーリーガー20年史」に掲載されている石橋氏、佐々木主浩氏、田口壮氏の3人が、メジャーリーグを音で語る座談会でのことだ。 4月2日に放映されたフジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』の人気コーナー「男気ジャンケン」に、新庄剛志氏が出演。哀川翔、藤井フミヤら錚々たるゲストが揃う中で、長崎県生まれ福岡市育ちの九州男児としてバイクで登場、終始もの凄いインパクトを残した。その時に、いまの新庄氏がどんな生活をしているのか疑問に思ったそうだ。 新庄氏は1990年にドラフト5位で阪神に入団し、1992年に亀山努と亀新フィーバーを起こす。引退騒動を経て、2000年オフにメッツへ移籍する。2004年に日ハムファイターズに入団し、2006年、日一を置き土産に引退した。 その数年後、インドネシアの

    「僕と一緒に野球をやらないかい」新庄剛志に巨人軍がかけた電話。(Number編集部)
  • ドイツ代表が10年続けた“肉体改革”。「体幹」を超えた「ムーブメント」とは?(木崎伸也)

    ドイツ代表がブラジルW杯で優勝できたのは、2000年にドイツサッカー協会が始めた「育成改革」、2004年に就任したクリンスマン前監督による「組織改革」、そして現監督のレーブによるピッチ内の「戦術改革」があったからだ。三者はそれぞれ古い概念を破壊し、イノベーションを起こした。 ただし、優勝に貢献した“改革”はそれだけではない。クリンスマンによってアメリカから呼び寄せられた『アスリーツパフォーマンス』による「肉体改革」の影響も大きかった。 『アスリーツパフォーマンス』は、1999年にアメリカ人のマーク・バーステーゲンが立ち上げたジムで、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、テニスなど、あらゆるアスリートの肉体強化を担っている。事や生活の指導を行なうのも特徴。現在は『EXOS』という名前に改名された。 レーブ、クリンスマンの下で働く日人トレーナー。 その最先端のジムに所属している日

    ドイツ代表が10年続けた“肉体改革”。「体幹」を超えた「ムーブメント」とは?(木崎伸也)
  • 1