初マラソンとなった2005年の名古屋国際女子マラソン(2012年より名古屋ウィメンズマラソンとして継承)で優勝し、同年の世界選手権でも6位入賞するなど輝かしい活躍を見せてオリンピックの有力候補とも評された原裕美子。 だが華々しい活躍の陰で、彼女は過剰な体重管理の指導から、食べ吐きを1日に何度も繰り返すほどの摂食障害に陥っていた。いつしか体の回復能力は低下し、多発する怪我から成績も伸び悩むことになる。 2010年、京セラからユニバーサルエンターテインメントに移った原は、最初の1年ほどは調子のよい競技生活を送った。だが、その後は再び怪我に苦しんだ。 ユニバーサルを離れると、チームにいたコーチの誘いを受け、同コーチの運営するランニングクラブで仕事をするようになった。 だが給料は未払い、コーチから依頼を受けての出資金も戻らないなど、それまでの競技生活で得た財産のほとんどを失うことになった。 「だま