1969年の那覇市議選で木にくくり付けられた候補者のカタカナポスター。定数30に69人が立候補した=那覇市古波蔵(豊島貞夫さん撮影) 前県知事の翁長雄志さんが生前、こんなエピソードを披露したことがあった。 旧真和志市長を務めた父の助静さんは復帰前の立法院議員選挙で、有権者が名前を書きやすいようポスターの表記を「オナカ」と簡略化した。同じ選挙で、後に那覇市長や衆院議員になる人民党の瀬長亀次郎さんは「セナカ」とした。選挙区は違ったが「おなかと背中が隣同士で戦っているという笑い話があった」(翁長さん)。 復帰前の沖縄の選挙では、現在のように法定のポスター掲示場がなく、電柱や民家の壁など至る所に候補者ポスターが貼られた。明治やそれ以前の生まれもいた当時、特に読み書きが苦手な高齢者に名前を書いてもらうため、ポスター表記は画数の少ないカタカナや漢数字が好まれた。中には候補者を呼ぶ高齢者らの発音そのまま