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ブックマーク / thir.hatenadiary.org (2)

  • 「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート

    原発に関して、「誰か(具体的には復旧に当たっている東電社員や自衛隊員)が命や健康を犠牲になれば、原発自体は全く危険なものではない」という言説が散見できる。即ち「危機的な状況に陥っても、復旧作業を行えば何も地域全体が危険にさらされることはない、もちろんその復旧作業には危険が伴うが」と。 しかし、そのような、「緊急時には誰かが危険を伴う作業をしなくてはならない、あるいは命を犠牲にする覚悟を持たなくてはならない」ようなシステムは、そもそもシステムとして自己犠牲を内在化しており、その点においてこのシステムは全体として欠陥である。ゆえに、現時点において(あくまでも現時点において)原発というものが、いざというときにそのような犠牲を必要とするのであれば、そのようなものは消えてしまえばいい。 そして犠牲者は英雄となり、英雄となるという事実があることで犠牲は社会において再び要請される。映画「ハルマゲドン」で

    「誰かが犠牲にならなければならない」ものは、システムとして欠陥がある - Thirのノート
    cohal
    cohal 2011/04/23
  • なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート

    先日、栃木県にて、クレーン車が暴走し通学途中の小学生をはね死亡させてしまった事故があった。もちろん加害者を擁護することは出来ない。彼はてんかんを持っていた。そして以前にも「未遂」を起こし、かつ薬の服用を怠ったがためにこの事件は起きてしまった。報道の通り薬を飲み忘れたがゆえにこのような事故が起こってしまったのであれば、これは完全に彼の責任であると私は思う。しかし、多くの人がそれでも思うことは、「では、何故彼はクレーンに乗ることを選択したのか?」ということであろう。この事故に関連し、id:goldhead氏は、俺はたまたま子供を6人轢き殺していないだけ - 関内関外日記において、SASを患っているという観点から記事を書いていえる。その中で、次のような文章が目にとまった。 だから俺は、クレーン車で6人の子供を死なせてしまったやつのことを考えずにはいられない。彼が症状をおさえる薬を飲んでいなかった

    なぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノート
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