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ブックマーク / lfk.hatenablog.com (7)

  • 読ませる仕組み、読まれる構造への違和感 - Letter from Kyoto

    ブログごっこみたいなものやってきて、今更だけどやっぱりそういうのは向いてないなと心底思う。今はnoteでも書いているけれど、そっちは営業っぽいマガジンを別にして、完全に日誌スタイルに戻した。やっぱりその方がしっくりくる。読ませる文、読まれることを意識した文章って、自分はやっぱり読みたくないんだよな。特にそれが情報だったりすると避けがち。noteにおいてもそういう営業スタイルがはびこっていて、ほぼ読む気がしない文章ばかり。 自分がはてな匿名ダイアリーを好んで読み続けるのは、読まれることを意識していたとしても、それが「おい、ちょっと聞いてくれよ」程度のもので、あとは完全に個人の駄文でしかないから。そういうものだけ、ついつい読んでしまう。そういう読み物ではない書き物が好きで、そういうものは近年見つけにくい。玄人ぶった鼻につく文章か、商業主義丸出しの文章ばかり。文句言うなら金出して好きなを買えっ

    読ませる仕組み、読まれる構造への違和感 - Letter from Kyoto
    color-hiyoko
    color-hiyoko 2020/05/06
    分かる。増田とかの営利無視な読み人知らずの文章の方が入ってきやすい 🐤
  • 街です - Letter from Kyoto

    今日は街の方にいます

    街です - Letter from Kyoto
  • 話が合わなくて困る - Letter from Kyoto

    僕ぐらいの年齢の人がする話は大体が「結婚」「子供」「仕事」が第一であり、そういう人を目の前にすると話すことがない。「結婚」にも「子供」にも「仕事」にも縁がないからそういう話をされると「あーそうですか」と聞き流すしかなくなる。マジどうでもいいと思いながら(ブログでもそういう話題を扱っているものはまず読まないが、逆に「結婚」「子供」「仕事」に疑問を呈している話題なら読んでコメントすることも多い)。 同世代たちに「結婚」「子供」「仕事」以外の話を振ると乗っかってくれたりすることもあるが、その先がない。なぜなら「結婚」「子供」「仕事」が第一だから。例えばゲームの話なんかを振っても懐古話に終わってしまい、この先のことでもう盛り上がれないわけだ。ゲームはもうやってない、と。旅行の話をしても、仕事が忙しいか家族がいるからもう旅行する余裕はない、となる。彼らはもう別のステージに立っていて、かつてのような会

    話が合わなくて困る - Letter from Kyoto
  • 異常者として生きるということ - Letter from Kyoto

    子供の頃からずっと、変人として扱われ育った。日語がわかっても、周りの人が言っていることの意味がよくわからなかった。ルールや常識というのも理解できなかった。ましてや共感、協調というのは皆無に等しい。そういう事が生まれてからずっと続いた。社会人になってからも「今まで会った中で一番変な人」という風に言われたことをよく覚えている。僕に対して「変じゃないよ」と言う人は今まで一人もいなかった。 いつでもどこでもずっと独りだった。自分の言っていることは常に相手に誤解され続けた。誤解がなかったとしても、異常だということで怒られたり、怖がられたり、驚かれることが多かった。人と自分との溝は深く、壁は高く、親がいようと、親類や友達がいようと、ある意味で天涯孤独だった。子供の頃は、当然ながら自分が普通であり当たり前であり、僕が言っていることは正論で、何も間違っていなければ変わってもいないと信じていたから、全く誰

    異常者として生きるということ - Letter from Kyoto
    color-hiyoko
    color-hiyoko 2017/11/05
    “そしていつの間にか、そういう人生を受け入れるようになった。「これはもう、一生続くな」と感じた。だったらそれなりに生きるしかない”
  • 人生について真面目に考える時期は終わった - Letter from Kyoto

    僕の「何事にも一生懸命に取り組めない」という性質は幼い頃からずっと、おっさんになった今でも続いている。仕事や勉強もそうだったけど趣味やスポーツについても同じで、ずっと変わることがない。人生について真面目に考えたのは、就職活動の頃や働いていた頃が最後だった。何とかしようと思っていたけれど無理だった。それ以降はもう成り行き任せというより、死ぬまでどう過ごすかという事しかない。 人は当に簡単に死ぬ。今こうやっている間に何人の人が死んでいっているだろう。死因は様々だと思う。病気、老衰、飢餓、戦争、事故、事件、自殺、身の回りでも多くの人が亡くなっていることかと思う。死を身近に感じだしたのは思春期ぐらいからだろうか。特に自殺について思いを巡らせていたのは、高校生当時にを読みまくっていた影響が強い。彼らに同調してしまった。 自殺未遂をしたことはなく、身近な人が自殺したということもないけれど、その少し

    人生について真面目に考える時期は終わった - Letter from Kyoto
    color-hiyoko
    color-hiyoko 2017/11/05
    “「いろいろ試してみたけどうまくいきませんでした」これが僕の人生の結論だった。これ以上はもうどうしようもない。そう思って後の時間をただなんとなく生きている。今の生活というのは、勝敗の決まった試合のロス
  • 「仕事ができる」が基準の全てという人 - Letter from Kyoto

    僕は仕事ができない。それは別にいい。僕が仕事ができない人間だからといって、尊大な態度でゴミのように扱ってくる人はいるが、それもまあ仕方ないから、別に構わない。構わないけれど、ちょっともったいないと思う。仕事ができない人の中にも、優しい人だったり楽しい人だったり、仕事以外のことで頼もしかったり良いところがある人はいっぱいいる。僕はそうではないけれど、そういう人たちを、ただ「仕事ができない」というだけで見下し、見限ってしまい、価値が無いと判断してしまうのはやはり傲慢な態度であり、そういう態度で人との出会い、付き合いを活かしきれないのはもったいないと思う。 そりゃあ職場に限って、もっと言えば職務を遂行するに限って言えば、仕事ができるに越したことはない。仕事ができなければ、職業人として困る存在だろう。無能だ、役立たずだ、と言って切り捨て、仕事ができる人間を替えゴマに持ってくれば、それで全てが解決す

    「仕事ができる」が基準の全てという人 - Letter from Kyoto
    color-hiyoko
    color-hiyoko 2017/11/05
    “特に残念なのは、プライベートな場においても「仕事ができないやつは何やってもダメ」という態度を一貫して崩さない人だ。それはまるで、運動できないだけのクラスメイトをバカにする小学生のようだ”
  • 人気エントリーや注目のブログから面白いブログは見つからない - Letter from Kyoto

    この意見には結構な割合で同意してくれる人もいるんじゃないだろうか。これははてなブログのトップページに表示される人気エントリー、注目のブログの話だ。おそらくアクセス数や何かが基準になり、ここには実際に人気や注目を集めたエントリー、ブログがピックアップされて掲載されている。ここに載っているブログが客観的に人気があって注目されていることは間違いないなく、それは単純にすごいと思うし、自分もブログを書いている身としてはやはり羨ましいとも思う。ただ、そこには主観的に興味を惹くブログが殆どない。面白いのだろうけど、僕にはその面白さを理解することができない。 スポンサードリンク 注目されるトピック それは単に注目されている話題やトピックに対して僕が興味を示していないだけということもある。Twitterにおいても人気のハッシュタグが表示されているけれど、それを辿ろうなんて思ったことがない。人気があるから興味

    人気エントリーや注目のブログから面白いブログは見つからない - Letter from Kyoto
    color-hiyoko
    color-hiyoko 2017/11/05
    “特に不器用な人に同調する。開き直って自分を肯定していたり、環境や周りの人のせいにしている人はちょっと受け付けないけれど、読んでいて面白いことはある。親のせいにしている人とか”
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