サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
社会3月23日の自分のエントリに自家受精的にインスパイアされて、スポーツの審判と政治的意見をアナロジーでとらえたらどうなるか考えてみた。上のモデルのように、審判は両チームから等距離を置いているという点では中立的である。しかしその一方で、ルールとかスポーツマンシップにはべったりくっついていることが良くわかる。このような姿勢には「人情派審判」とか「エンタテイメント重視の審判」というのはありえなくなる。つまり、「ルール」を重視することで、その他の要因(人情とか義理とかエンタテイメント性とか視聴率とかいろいろ)は切り捨てられる。もちろん、「切り捨ててはいけない」などと主張するつもりはない。ただ「審判員が絶対的に中立な状態はありえない」ということを言いたいだけである。 これを政治的意見に適用すると上のようになる。左右両意見に「等距離」を置いているように見える中立性とは、実際のところ、例えば「事なかれ
元の記事よりブクマコメントの方が有意義というのも面白い。2008年02月29日 y_arim そりゃあ自称中立のひとに世界は変えられないわな。世界を変えるのはいつだって強烈なエゴから発される著しく偏った言葉だ。ある種の毒を撒き散らす自覚と覚悟がなければ文章なんて書けない。2008年02月29日 sivad そらブログでお手軽にセカイが変わりゃ世話ないよ。↑確かに、中立ってのは現状維持ってことだわな。はてなブックマーク - 世界があまり変わらないのでブログやめようかと思う - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記目ぇ覚めた。確かにそうだ。 中立とはなんぞや。普通、中立って言うとこういうイメージを持つ。とりあえず政治的な話にするね。政治的思想には、右と左があるわけで、その真ん中に「中立」っていうのがある。あるはずなんだ。これを「絶対中立点」と呼ぶことにする。イメージとしては、この「絶対中立点」で「
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く