2015年12月16日のブックマーク (2件)

  • 読みたい本がない

    よくブログで自慢気に「毎月100冊読んでます」とか言う奴いるけどさ 俺がそこの何に感心するかって"を100冊読む努力"より"読みたいを100冊も探せた事"なんだよね。 前は「少しの知識欲さえあれば読みたいなんていくらでもできるだろ」と思ってたけどさ。 最近暇ができていざ読書習慣をつけようと屋行ったら何も読みたいがないのな。 なんか"胡散臭い政治" "超絶難しそうな技術書" "胡散臭い自己啓発書"しか眼に入ってこない。 小説という手もあるが個人的に物語は小説より映像派なのであんまり… ベストセラーコーナーもなんか「ブログにでも書いてろよ…」ってレベルの新書が並んでる。 仕方なく棚から探していくんだが砂漠でコンタクト探してる気分だ。 でもAmazonで探すと個人製作の電子書籍も混ざるからもっとひどい。まあたまーに個人製作電子書籍でもいいのあるけど。 結局漫画買って帰ってきたわ。

    contents99
    contents99 2015/12/16
    図書館にいくのが正解だな
  • 例の会見で、日本のイスラム法学者が叩かれてるようなので

    中田考さん(イスラム法学者でムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。 (なお自分はムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーン(コーラン)も注釈でしか触れたことがない) ワリと面倒くさい宗教であるイスラーム六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリムは義務としての決め事が多い。 判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。 翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨つまり寄付の一種と看做されることもある。 財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフに寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。 と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。 王様が世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教になっちゃった宗教とは違い、

    例の会見で、日本のイスラム法学者が叩かれてるようなので