古里の戦災を今に伝えた郷土史研究家が、天災で逝った。岩手県釜石市の昆勇郎(ゆうろう)さん(83)。戦中に釜石を襲った艦砲射撃の研究に心血を注いだが、開設に尽力した市立の戦災資料館ともども東日本大震災の津波の犠牲になった。終戦から66年。戦争体験者も減る中、遺族は、残された研究資料を市に寄贈し「未来のため郷土の財産としてほしい」と望んでいる。【平川哲也】 海水を吸ったノートには「釜石艦砲射撃」の字が青くにじむ。市の中心部にある昆さん宅。会社員の長男秀光さん(56)=同県紫波町=がページを繰りながら独りつぶやいた。「伝えねば、残さねばと思ったんだろう。自分の心、そして古里の痛みを」 釜石は終戦間際の1945年7月14日、洋上に展開した米艦隊の艦砲射撃を浴びた。製鉄所を狙ってはいたが、事実上市民への無差別砲撃だった。当時18歳の昆さんは勤労動員先の滋賀県の工場から急ぎ里帰りする。待っていたのは、
404 NOT FOUND 指定されたページかファイルが見つかりません。 指定されたページかファイルは削除されたか、アドレスが変更された可能性があります。 MANTANWEBトップページへ戻る
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く