攻撃の成功がそのまま死につながる「十死零生」という、世界の戦争史の中でも稀な作戦ゆえ、戦後70年を超えても未だ評価の定まらない「特攻」。ある者は、「究極の愚策」と罵り、ある者は、国に殉じた若者たちの美談を讃える。そうなってしまった背景には、生き残った負い目から口を閉ざした元隊員たちの一方で、自己正当化をはかった一部の指揮官たちの存在が影響しているのは間違いない。実際に、この作戦はいかに採用され、いかに実行されたのか。神立氏が集めた数百人の元搭乗員、関係者の証言とデータから、その実像に迫る。 元隊員の間でさえ、特攻への評価に温度差がある 太平洋戦争末期の、日本陸海軍の飛行機、舟艇、戦車などによる体当たり攻撃、いわゆる「特攻」は、「あの戦争」の一つの象徴として、いまなお論考が重ねられ、関連書籍が出版され続けている。 かくいう私も、「特攻生みの親」とされる大西瀧治郎海軍中将の親族、副官、特攻を命
![日本人なら知っておくべき特攻の真実~右でもなく、左でもなく…(神立 尚紀) @gendai_biz](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d78afe98029d6c3089f9636eff991ab1c8c0fc5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2F7%2F1200m%2Fimg_47a13c7aec3b442ab38a21f42420f0b8118043.jpg)