父に「仕事やばみすぎてやばみンゴwww」て相談したら「①完了した仕事をすぐに上司に投げ返さずしばらくホールドして流入量をコントロールする②依頼者には細かく打ち返して丸投げを避けて負担をシェアさせる③完璧主義は捨てる」という実用アドバイスが返ってきた
世の中 米山 隆一 on Twitter: "この人の言う「過剰診断で有害」というのも私は非常に気になるのですが、診断そのもののコストや侵襲を別にすれば、論理的には「診断」は単なる情報であり、通常情報は多ければ多いほどいいのであって、「過剰診断で有害」という事は起こり得ません。"
世論がすべて、それが民主主義の基本。果たしてそうだろうか。個別メディアの恣意が反映される支持率が、即ち「民意」ではない。そんな曖昧なものを指針にした政治決定が「正しい」とは限らない。 【写真】安倍総理が恐れ、小池百合子は泣きついた「永田町最後のフィクサー」 総理・菅義偉は、その朝、新聞の朝刊を開き、満面の笑みを浮かべた。 〈緊急事態再延長 評価78% 内閣支持9ポイント上昇48%〉 3月8日の読売新聞1面に載った記事だ。 〈菅内閣の支持率は48%で、前回(2月5~7日調査)の39%から9ポイント上昇。不支持は42%(前回44%)となった。支持が不支持を上回るのは、昨年12月26~27日の調査以来〉 「菅さんはこの数字がたいそう嬉しかったようで、その日は終始、機嫌がよかった。最近はブスッとしかめ面をして、周囲を睨むようにしていることが多かったのですが、数ヵ月ぶりに総理の満面の笑みを見た気がし
政治的価値観が「定食メニュー化」しにくい日本 政治化したイデオロギーや価値観には、異なる人びとを結び付け、互いに連帯感を持たせる効果がある。実際には対立がないはずの分野で、政党の対抗意識によって新たな対立が生まれ、分断が深まることもあれば、政党が複数の価値観を結び付けて定食メニュー化を図ることもある。 前出のトランプ現象の場合は、人々の社会的価値観をめぐる対立の方が根深いことを的確にくみ取った結果、選挙における中心的なメッセージが社会保守的主張と中道の経済政策の組み合わせとなった。これは共和党が民主党に歩み寄ったのではなくて、分断の力点を経済から社会問題へと動かした例である。 ところが、社会的イデオロギーが分極化していない日本ではそもそも「価値観の定食メニュー化」が成り立っていない。その結果、有権者が「教化」されにくく、革新勢力のなかに女性差別が残ってしまったりする構造がある。 例えば、主
呉座氏の炎上の件で白饅頭氏が話題だけど、個人的に彼は市民感覚の人といった印象を持っている。市民感覚的リベラルとでも言えばいいのか、現代ビジネスの記事等を読んでいると市民の感覚を言語化することに長けている印象を受ける。政治的なことを市民感覚と織り交ぜながら書いているので、いわゆるリベラル知識人にとっては癪にさわるように見えるのかもしれない。知識人がポピュリズムを批判するのと同じで、市民感覚に沿ってポピュライズドされた氏の記事が知的なものだとは言いたくないのであろう。一部のリベラル知識人に見られるものだが、市民を啓蒙するのは我々リベラルだという特権意識が見え隠れする時がある。 そういった、知性主義とでも呼ぶべき態度はたとえば私のような泡沫ブロガーでも感じるもので、知は知として専門的であり体系的でなければならないといった空気は厳として存在する。たとえば、白饅頭氏がよく批判しているフェミニズムにつ
福島県で行われている東京オリンピックの聖火リレーで、ランナーが火がついていないトーチを掲げたままほぼ1区間走るアクシデントがありました。 2日目の第2区間、飯舘村で4番目のランナーから5番目のランナーへ聖火が受け渡されるとき、トーチとトーチを近づけましたが、火がつきませんでした。 スタッフが合図したため、ランナーはトーチに点火しないまま走り始めましたが、次の中継ポイントの手前でスタッフに呼び止められて一旦停止し、予備の火で点火してもらったあと次のランナーに聖火を受け渡しました。 この区間を担当した浪江町出身の石澤孝行さんは、走り終えたあと報道陣の取材に応じ、「トーチを上に掲げているので火が消えていることにはまったく気づかず、走り終える少し前に『消えてますよ』と言われて、『え?聖火って消えるんだ』と思いました」と話しました。 聖火リレーが行われた当時、飯舘村には強風注意報が出されていて、スタ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く