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経済学に関するcraftwork56のブックマーク (2)

  • やはり、大昔物々交換などなかった - シェイブテイル日記2

    経済学の教科書のはじめの方に登場する物々交換ですが、フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」には物々交換が人類学などから疑問を呈されているという話を以前書きました。 大昔、物々交換などなかった - シェイブテイル日記 今年4月に出版されたカビール・セガール著「貨幣の新世界史」でも、少し違う切り口から大昔には物々交換などなく、貨幣の起源は債務にある、という説を紹介しています。 以下は貨幣の新世界史から引用します。*1 (引用開始) - お金のもうひとつの起源 経済入門のクラスでは、お金歴史をつぎのように教えるケースがほとんどだろう。 昔々、世界の果ての地で、人びとは物々交換を行なっていました。しかし、常に満足できる形で成立するわけではなく、やがてお金が発明されました。 アリストテレスの思想はこの考え方の延長線上にあるし、さらに時代を下れば、アダム・スミスなど古典派経済学者にも行き着く

    やはり、大昔物々交換などなかった - シェイブテイル日記2
  • 第4回 実験経済学の発展が意味するもの:社会科学の制度論的転回|Webnttpub.

    1. パンドラの箱としてのゲーム理論 前回は,伝統的なゲーム理論もまた,信念と選好という2つの志向的状態を組み合わせて効用を最大化するという道具的合理性を有したプレーヤーを前提としているということ,その意味で,新古典派経済理論と同じ人間像を共有しているということを述べた.実際,ゲーム理論はナッシュ均衡,新古典派経済学は競争均衡というように均衡概念こそ異にしているものの,道具的合理性を有した主体による選択と均衡概念の使用,さらには方法論的個人主義という観点で,両者は共通点を持つのである.しばしば,ゲーム理論は新古典派経済学の一部であるという主張を聞くことがあるのは,こうした理由によるものだ. しかし,ゲーム理論が経済学に与えたインパクトはこうしたことをはるかに超えるものである.新古典派経済学の市場均衡では,人と人との関係はあくまで市場を通したものでなかった.技術的外部性という例外はあるものの

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