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創作と批評と*鳥山仁に関するcrowserpentのブックマーク (2)

  • 王様を欲しがったカエル |フィクションとノンフィクション

    日も仕事に忙殺される。ただでさえ3冊同時進行はキツイのに、1冊が歴史系のノンフィクション作品だという点がボディーブローのように効いている。同じ文章でも、フィクションとノンフィクションは製作の過程がまったく違う。同じレースでもF1とラリーがまったく異なる競技なのと一緒だと言えば分かりやすいだろうか? で、どちらのレースでもチャンピオンになったドライバーが希なように、フィクションの世界でもノンフィクションの世界でも優れた業績を残した作家はいない。理由に関しては去年の6月7日の日記に書いたとおりで、「現実は時系列の一貫性はあっても、意味の一貫性がないから」である。ところが、フィクションに求められるのがこの意味の一貫性で、場合によっては時系列がバラバラでも構わない。すると、作家がいつもの創作手法でノンフィクションを書こうとすると、必然的にありもしない意味の一貫性で現実なり歴史を捉えようとするので

  • 王様を欲しがったカエル |批評家に批評の才能は邪魔。

    日も小説の執筆、インデザインを使ったレイアウト、文字の推敲、ゲームのレビューを行い、余った時間をまちづくり3法の資料収集に使う。今回は間をおかずに連続して入稿作業があるので、けっこうパニック気味。明日になったら、プライオリティを整理する必要がある………と思いつつも、現実逃避で浜岡賢次の『浦安鉄筋家族』を再読。 『浦安~』は数少ない「何度読んでも面白い」作品の一つで、手元にある漫画としては二階堂正宏の『極楽町一丁目 嫁姑地獄篇』と同程度。どちらの作家も視覚的に不条理を表現する技術に長けているため、意味的にはワンパターンでも飽きないというのが特徴。この辺に自分の趣味が出るね。 じゃあ、不条理とは何かというと、分かりやすく言うと「何で俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだ」というシチュエーション。『浦安~』の場合は何気なく発生するアクシデントが不条理部分に該当し(こうしたアクシデントの被害が、

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