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死と過剰適応に関するcrowserpentのブックマーク (3)

  • 被害者としての自認を阻むもの - apesnotmonkeysの日記

    先週 NHK Eテレで放送されていた「ハートネットTV」の「シリーズ 貧困拡大社会」、「相次ぐ若者の過労死」「若者を追い詰める“ブラック企業”」の2回分を(録画しておいて)見ました。 http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2012-10/22.html http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2012-10/23.html 一般論としては報道やルポルタージュ、ネットの情報等を通じて知っていることを上回るような知見を与えてくれるものではありませんでしたが、取材を受けた過労死者・自殺者遺族の姿を見ると、劣悪な労働環境が一人の人間の命を奪ったという事態の重さを改めて痛感します。 とりわけ印象的だったのは、過労死した青年と同期入社だったという取材対象者の言葉です。彼自身、入社2年でうつ病を発症し、休職と

    被害者としての自認を阻むもの - apesnotmonkeysの日記
    crowserpent
    crowserpent 2012/12/01
    被害者を自認すること、それについて語ることの困難さに対して、どのような態度を取るべきかということについて。
  • 妻が亡くなった……だけど悲しくない

    が事故で亡くなってから二月ほど経った。 しかし実はそれほど悲しくないのである。 当にこれっぽっちも悲しくないかというとそれは嘘になる。 でも悲しいという気持ちよりも「解放された」という気持ちの方が強い。 決して仲が悪かったわけではなく、むしろ良かった方だ。 と一緒に友達に会えば、が幸せそうにしているということをからかわれた。 確かに自分で望んで結婚したわけではない。「20代後半の女性と付き合うなら、男は結婚する責任があるでしょ」みたいなことを言われ、しょうがなく結婚したのだ。 それでも、自分なりにを満足させようと頑張った。 一緒に色々な所に出かけた。たまには喧嘩だってした。 自分の仕事時間を減らして、趣味の時間も取らず、いっぱい話をした。 の不安を解消するために自分の行動に制限をつけた。 はそれなりに結婚生活に満足していたと思う。 自分がそれだけやれるぐらいのだったのに

    妻が亡くなった……だけど悲しくない
  • 私にとって私とは遺伝子を繋ぐ為の劣った入れ物に過ぎず、入れ物如きが遺..

    私にとって私とは遺伝子を繋ぐ為の劣った入れ物に過ぎず、入れ物如きが遺伝子の営みを拒否する事そのものが心苦しいのだ。何に対して心苦しいのかは自分でも良く判らない。私が両家にとって最後の人間となるという事が一番大きいと思う。 両親の事は好きでも嫌いでもない。単に自分に似た遺伝子を持つ人間として認識している。言葉の一つ一つに対して「なぁなんであん時うちにあんなこと言うたん?」という気持ちは有るが、両親自体を恨んではいない。おそらく私があのような言葉を受けたのは私が他人より劣っているからなのだろう。愛されたいと思った事も無い(愛されたいという感情を否定したいのかもしれないけれど、さてどうだろう)。愛は私の世界には存在しない。この世には利害関係のみがある。母は失敗したのだ。父もまた失敗したのだろう。両親ともに、私に対して「あんたさえ居なければ」という事を言った事がある。離婚しなかったのは世間体と、両

    私にとって私とは遺伝子を繋ぐ為の劣った入れ物に過ぎず、入れ物如きが遺..
    crowserpent
    crowserpent 2007/01/26
    何ともやりきれない。/ここでの「遺伝子の入れ物」というレトリックは自己否定感情の投影に過ぎず、本来の意味からすれば誤用。しかし、この誤用を他者を規定する言葉として使う人間も少なくない。
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