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*東浩紀と*森岡正博に関するcrowserpentのブックマーク (1)

  • 語りへの暴力的な欲望 - on the ground

    例えばデリダは、既存の法を個別の事件にそのまま適用することは、正義ではないと言った。判決の産出/算出を一般化可能なプログラムの作動に任せるとすれば、裁判官は機械でしかなくなり、法廷で行われるのは計算に過ぎないことになる。正義に適うのは、既存の法をベースにしつつも、個別の事件の特殊性、唯一的な文脈に応じて、その都度・新たに法を創出するかのような判決だけである。そのような判決だけが、当事者が置かれた個別的な条件への一般化不可能な配慮が含まれた決定だけが、(脱構築不可能な)正義で在り得る。そう、デリダは主張した。 この立場からすれば、何らかの「事件」に関する「語り」についても、同様のことが言えるように思う。批評家でも評論家でも哲学者でもTVコメンテーターでもいい。有り体のイシューなりアジェンダなりを予め用意しておき、それを認識/解釈の枠組みとして個別の事件に適用し、事件の原因や背景(または「

    語りへの暴力的な欲望 - on the ground
    crowserpent
    crowserpent 2008/06/15
    「暴力的だから黙れ」と言っているわけではないことに注意。font-da氏の応答:http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080615はややピントがずれている。
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