Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ■犠牲とはなにか。「他者の傷を癒すこと」である。他者というのは大文字の他者も含むので、いつもそこが問題になる。アメリカによって傷を負わされてきたイスラム諸国の傷を癒すためにムスリムは貿易センタービルに突入し、その事件で傷ついたアメリカ(の威信)の傷を癒すためにアメリカは国民から軍人をせっせと作りだしてアフガニスタンに侵攻する。ここにあるのは暴力に暴力で応じたという動物学的な、条件反射的な構図ではなく、犠牲に犠牲で応じるというあまりに心理学的な、人間的な構造だった。 ■そして犠牲について考えることから行き着くのは「傷の共有」といった問題である。ここでは大胆に、その傷の共有こそがイデオロギーの基盤を形作るのではないか
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか? いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治
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