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2016年3月2日のブックマーク (2件)

  • スポーツを楽しむことと運動能力について

    フリーランスの同業者を集めて、定期的にフットサル会を開いている。 「普段運動をしないので、軽く運動をして、その後に懇談会をしよう」という名目だ。 最初はそこそこ人が集まっていたのだが、回を重ねるごとに一次会であるフットサルの参加人数がどんどん減り、 二次会の懇談会にばかり人が来るようになった。 そこでフットサルに参加しない人に参加しない理由を聞いてみたところ、 「運動が下手だから参加したくない」ということらしい。 そこでフットサルを卓球やボウリングに変えてみたが、人数は減る一方だった。 チームも男女比や運動能力が偏らないように調整しているし、 汗を流すことが第一なので、点数などは気にしないように言っているが、 「運動が下手だから」という理由に対する解決策がなければ、どうにもならない気がする。 ブコメ付いているので追記 総合すると ・点数とか実力の差がはっきりわかるような要素がなくて、 ・動

    スポーツを楽しむことと運動能力について
    crowserpent
    crowserpent 2016/03/02
    大勢で楽しめる種目は優劣がはっきり現れやすく、優劣をあまり気にしなくていい種目は大勢でするのに向いてない、というジレンマがあるのかも。
  • 東北大震災で死んだ人は幸せな死後を送っているよな

    2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。 葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。 幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波にさらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体は放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。 ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。 あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。 しかし何処か釈然としないのだ。 私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つ

    東北大震災で死んだ人は幸せな死後を送っているよな
    crowserpent
    crowserpent 2016/03/02
    「死後に弔われること」が幸福度を左右する、というのがあまりピンと来ないんだけど、「孤独死」の語られ方の背景にこういう感覚があるんだろうな、とは思う。