呼ばれた気がして(呼ばれてない) http://kokoro.squares.net/?p=7763 世界の見え方が脳内物質の匙加減で変わるのなら自我の同一性なんて幻想なのではという古典的な問い。ですがかたくなに妄想を病理としてのみ捉える林氏がこれを考えるのは少し意外でした。 そしてなぜ多くの人が死や変容を恐れ否認するのかの答えがここにあると思ったので覚え書き。 私はよくおかしな人を見ます。公園のすみで素手で穴掘りしているサラリーマンとか、生魚を素手で掴んでいるご婦人とか。でも私以外のだれも彼らの存在に気づかず素通りしてゆく。 おかしいのは私なのか世界なのか、私に鑑別する手段はありません。私にとって彼らは存在していて、また別の誰かにとって彼らは存在していなくて、複数の現実が同じ重みで存在する。 我々は自分の体という独房の囚人にすぎないなんて小学校の理科の時間に習うじゃないですか。というのが